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「ダークナイト・ライジング」に、怪力男ベインが登場! [映画鑑賞]

クリストファー・ノーラン監督によるバットマン・サーガ第3弾「ダークナイト・ライジング」が、日本でも7月に公開されることが正式決定となりました。オイラ的には前作「ダークナイト」があまりにも完璧だったので、正直これでノーラン版「バットマン」は一応完結なんだろうと思っていたら、まさかの3作目の製作決定!。これには大いなる喜びを感じた訳ですが、同時に一抹の不安も感じてしまいました。何故なら、「ダークナイト」を超えるような続編が出来るのか?という心配が、脳裏をよぎったからです。しかしそこはクリストファー・ノーラン監督、きっと「ダークナイト」を超えるような作品を作ってくれることでしょう。
 
さて、続編が決まったとなれば、やはり気になるのはヴィラン(悪役)のこと。
「バットマン・ビギンズ」ではラーズ・アル・グールとスケアクロウ、「ダークナイト」ではジョーカーとトゥー・フェイスが登場した訳ですが、果たして「ダークナイト・ライジズ」ではいったい誰が登場するのか?、興味津々でおりました。
そんな中まずアナウンスされたのが、キャット・ウーマン
原作ではジョーカーに続く人気キャラクターのひとりで、これは妥当な登板ですね。
シリーズ初のロマンスが描かれるのでしょうか?。
そして、当然キャット・ウーマンひとりって訳ではないだろうから、もう一人は果たしていったい誰が登場するのだろう?と、思いを巡らす。ペンギン?、それともリドラー?、ノーラン監督の作風から考えてMr.フリーズはあり得ないよね?、動物つながりでキラー・クロックとかマンバットあたりはどう?、クレイ・フェイスは実写向けとしてはちょっとマンガっぽい?、マッド・ハッターあたりが意外と面白いんじゃないの?....と、いろいろ予想をしていましたが、アナウンスされたのは....
 
まさかのベイン!(^皿^;)
 
バットマンの世界に明るくない方のために一応説明しておくと....
ベインは、どんなマンガにも一人はいるであろう、いわゆる怪力系ヴィラン(悪役)です。
覆面姿にタンクトップ&黒タイツと、その容姿はまんまプロレスラー。南米のとある独裁国家出身の彼は、軍人となり身体能力を増強させる実験に参加、ベノムという薬品により彼は誰にも負けない肉体を手にします。その後、独裁国家を脱出、その足でゴッサム・シティへと流れ着いた彼は、ゴッサムを支配すべく、バットマンと対立することになります。そして、バットマンことブルース・ウェインと対決、彼の背骨をヘシ折り、勝利したことで、一躍その名をゴッサム・シティで広げることに成功します。映画ではかつてジョエル・シューマッカー監督作品「バットマン&ロビン〜Mr.フリーズの逆襲」(97年)にもチョイ役として登場していたので、ご記憶の方も多いと思います。
バットマンの背骨をヘシ折ったキャラクターとして有名なベイン。だけど、バットマンに登場する悪役の中では比較的地味な存在の彼。そんなベインをキャスティングするあたりが、いかにもクリストファー・ノーラン監督らしいですね。 
 
では、果たしてそんなベインをいったい誰が演じるのか?。
巨漢俳優マイケル・クラーク・ダンカン?、ヴィン・ディーゼルのベインなら是非見てみたい!、或いは最近映画業界での活躍が目覚ましいプロレスラー、“ロック様”ことドゥエイン・ジョンソン?....様々なマッチョ系俳優を想像していましたが、正式アナウンスされたのは、なんとトマス・ハーディでした。
 
....トマス・ハーディっていったい誰だよッ!?(^皿^;)
 
いや、知ってますけどね。
クリストファー・ノーラン監督の「インセプション」に出てた人ですよね?。ディカプリオらとともに夢の中に潜入するメンバーで、夢の中での変装が得意だというキャラクターを演じてた俳優さん。
でも、トマス・ハーディって、そんなにマッチョだったかなあ?。って言うか、トマス・ハーディ、ひょっとしたらクリスチャン・ベイルよりも身長低くないか!?。バットマンよりも背が低いベインって、有りなの?。
という訳で、ベイン役にトマス・ハーディ起用という、この意外なキャスティングには不安要素たっぷりな訳ですが、これまでも独自のキャラクター像を生みだしてきたクリストファー・ノーラン監督のことですから、きっとコミックとはまた違ったベイン像をクリエイトしてくれることでしょう。
 
ハーヴィー・デントの写真を片手に掲げ、演説をぶちまけるテロリスト・ベイン。
果たして、彼は何を語っているのでしょうか?。
「ダークナイト・ライジズ」は、7月公開です!(^皿^)/。
 
 
      「ゴッサムが灰と化したら....殺してやる」
      ベーン.jpg
   

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立ち上がれ、何度でも!〜「リアル・スティール」を鑑賞する [映画鑑賞]

H・ジャックマンの新作映画「リアル・スティール」を見てきました。
見るまで知らなかったんですが、この作品、S・スピルバーグとR・ゼメキスがプロデュースしてた作品だったんですね。オイラ的には“ロボット同士が戦うボクシング映画”という認識しかなかったのですが、どうやらそこに“父と息子の感動物語”が盛り込まれているらしいです(^皿^)。
 
『リアル・スティール』(原題:REAL STEEL )
 監督:ショーン・レヴィ
 音楽:ダニー・エルフマン
 出演:ヒュー・ジャックマン
    ダコタ・ゴヨ
    エヴァンジェリン・リリー
    アンソニー・マッキー
    ケヴィン・デュランド
    ジェームズ・レブホーン
    ホープ・デイヴィス
    オルガ・フォンダ
    カール・ユーン
    他
【あらすじ】
元ボクサーのチャーリー・ケントン(ヒュー・ジャックマン)は、ロボットボクシングのプレイヤーとして日銭を稼ぐ日々を送っていた。だが、借金まみれの荒れた生活にかつてのような夢や希望はなかった。そんなある日のこと、以前つき合っていた恋人の訃報が届く。そして彼女との間に出来た息子マックス(ダコタ・ゴヨ)が現れる。今更子供の面倒をみるつもりもないチャーリーは、マックスを引き取って面倒をみたいという叔母夫婦に、親権を譲り渡すかわりに金銭を要求する。こうして大金を手に入れたチャーリーは、叔母夫婦が海外旅行に出ている2ヶ月間だけマックスの面倒をみることになる。チャーリーは手に入れた大金で早速新たなロボットを手に入れるのだが、それも地下試合で無惨にも破壊されてしまった。困ったチャーリーはロボットのパーツを盗もうとスクラップ工場へと侵入するのだが、そこで同行していた息子マックスは廃品同然のロボット“ATOM”を発見する....。
 
 
....うーむ、ちょっと期待外れだったかなあ(^皿^;)。
映画「リアル・スティール」は、人生のどん底にいる主人公が再起をかけて這い上がる物語であり、父と息子が親子の絆を取り戻す物語。前評判ではとても感動する物語と聞いていたのですが、オイラ的には琴線に触れる部分は少なかったです。その理由をいくつかピックアップしてみます。
 
【ボクサーとしての葛藤が少ない】
主人公チャーリーはボクサーだったけど、ロボットボクシングの台頭によりその職を失います。自身の職を奪った憎むべきロボットボクシングであるにも関わらず、ボクシングしか知らないチャーリーはロボットボクシングに関わることでしか生計を立てることが出来ません。或いは、例えロボットボクシングであったとしても、ボクシングに携わる仕事についていたいという思いがあったのかもしれません。そういった複雑な心理状況があまり描かれない点が、主人公というキャラクターとしてものすごく薄っぺらいものとなっていたような気がしました。
 
【父と息子との間で、母親のことが話題にならない不自然さ】
確かにこの映画は父と息子の交流が主軸の物語です。ロボットボクシングを通じて父と息子がお互いのわだかまりを徐々に解いていくという展開はそれなりに感動的なのですが、ただその過程で母親の話題が持ち上がらない点に、どうしても矛盾や違和感を感じてしまいました。
マックスと交流していく中でチャーリーの中に徐々に父性が目覚めていけば、当然ひとりで子育てしていたキャロラインのことについて思いを馳せるだろうし、マックスにしても「どうして父は自分を捨てて母は別れてしまったのか?」その理由が知りたいはずだと思います。そういうことを父と息子で語り合う場面を是非挿入して欲しかった。そうすれば親子のドラマとしてもっと厚みが出たのにと残念でなりませんでした。
 
【アトムの模倣機能には、まったく意味がない】
映画を見るまでは、それほど魅力を感じなかったロボットたち。だけど、実際に動く映像を見たらなかなかにかっこ良かったです。しかしながら、主人公アトムに関してはいろいろと思うところがありました。このテの映画のアラを探してツッコミを入れるのはヤボだということを重々承知で、それでも敢えてそのあたりを記したいと思います。
〈アトムの顔や手のデザインに関して〉
アトムは対スパーリング用のロボット。劇中でもそのことを理由にしてアトムの頑丈さが強調されています。それなのに、顔が網(あみ)ってのはおかしくないですか?。そこを一番頑丈に作らなくっちゃダメでしょう。それとアトムの手です。いわゆる人さし指がついているんだけど、ボクシングロボなのだから、指は必要ないだろうと思うわけです。例えば、ゼウスのようにショー用ロボなら、例え指があったとしてもそれはパフォーマンス用だと多少納得はいく訳です。でもアトムは単なる練習用ロボ。その手はいわゆるグーパンチの形をした鉄の固まりで充分だと思うのです。大体指関節みたいな繊細な部分があったら、そこから壊れちゃいますよ。アトムは対スパーリング用ロボだと謳いながら、その実デザインはその体(てい)を成していない訳です。
 
〈アトムの模倣機能には、まったく意味がない〉
アトムには目の前にある対象物の動きをそっくり真似をする模倣機能がついています。これがドラマの伏線となっていて、クライマックスでそのことが活かされます。確かにヒュー・ジャックマンの動きを真似しながら戦う場面は、感動的でした。でも、ちょっと冷静になって考えてみると、この設定も非常におかしいことに気付きます。なぜなら模倣機能というのが対スパーリング用ロボットの性能としては、実に意味のない機能だからです。自分の動きをそっくり真似するロボットを相手にスパーリングしても、練習になる訳がない。それは鏡に向かってシャドーボクシングをしてることと同じです。これが人間ならフォームの確認や修正といった意味もありますが、ロボットにはまったく必要のないものです。
そして、何よりも不可解なのはアトムが真似をする対象をどうやって認識しているのか?ということです。真似をする対象が近くにひとりしかいない状況ならまだしも、例えば試合会場のような不特性多数の人間がいるなかで、なぜアトムはゼウスの真似ではなく、ヒュー・ジャックマンの真似を出来たのでしょうか?。単なるスパーリング用ロボットなのにも関わらず、高度な認識機能を持っているとしか思えません。
つまるところ、アトムは対スパーリング用ロボット(しかも旧式)だといいながら、そのデザインや性能がそれと全然マッチしていないのです。これが単なる脇役ならだまって目をつぶることも出来ますが、アトムは主人公なので、つじつまの合わない設定は、やはりどうしても気になってしまいます。これが、ドラマの世界に没頭出来ない大きな要因のひとつとなってしまいました。
 
【ドラマとしての終わり方が良くない】
映画はアトムが最新型の高性能ロボット・ゼウスと善戦したものの、試合結果は負け。それでも、皆の顔は晴れやか!....みたいな感じで終わりを迎えます。試合の流れや終わり方が「ロッキー」まんまですが、それ自体は別にどうでもいいのです。オイラが感じたのは、「これが単なるロボットボクシングの物語ならそのエンディングでも全然問題ないけど、これが親子の絆の物語だとしたら、そこで終わっちゃダメだろう!」ということでした。
例えば、エンディングで母親の墓参りに行って懺悔するチャーリーというのもありだと思うし、マックスの将来を考えてやはり叔母夫婦に引き取ってもらう決断をするチャーリー、とか、そういった場面があっても良かったように思う。チャーリーが父親としての自覚に目覚めた故の行動というものを最後にきちんと見せることで、ドラマとしての厚みがもっと出たのに、と残念でなりません。
 
 
ショーン・レヴィの作品は「ナイト・ミュージアム」しか見たことがありませんが、その時にも感じたなんだかとっても“薄い”感じが、今作からも感じられました。コメディ映画だろうが、アクション映画だろうが、核となるドラマの部分を軽んじると、作品自体がとっても薄っぺらく軽いものになると感じた「リアル・スティール」でした。
 


Real Steel

Real Steel

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: Varese Sarabande
  • 発売日: 2011/11/01
  • メディア: CD

ダニー・エルフマン大好きなんだけど、今作はなんか今イチでした
  
  
      「その名前、日本では使えませんよ」
      アトムとアトム.jpg
  
  

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まさかの期待はずれ!?〜「ハッピー・フィート2 踊るペンギンレスキュー隊」を鑑賞する [映画鑑賞]

オイラの大好きな作品「ハッピー・フィート」に、待望の続編が登場!。
1作目は歌と踊りが全編にちりばめられ楽しい映像が満載でありつつも、その物語は社会風刺がピリリと効いていて、そのバランスが絶妙な素晴らしいエンターティメント作品となっていました。
その続編である今回の「ハッピー・フィート2 踊るペンギンレスキュー隊」。
今回ばかりは期待値が高い状態での鑑賞となりましたが、果たしてその出来や如何に!?。
  
「ハッピー・フィート2 踊るペンギンレスキュー隊」
(原題:HAPPY FEET2)100分
  監督:ジョージ・ミラー
  音楽:ジョン・パウエル
声の出演:イライジャ・ウッド、ロビン・ウィリアムス、ハンク・アザリア、アレシア・ムーア、ヒューゴ・ウィービング、マット・デイモン、ブラッド・ピット、他
 
【あらすじ】
成長したマンブル(イライジャ・ウッド)はグロリア(アレシア・ムーア)と結婚、エリックという子宝にも恵まれて幸せな生活をおくっていた。だが、一人息子のエリックは歌も踊りも苦手で引っ込み思案な男の子。マンブルはそんなエリックを心配するのだったが、同時にどう接していいのか?親として子育てに悩んでもいた。
ある日、とある出来事をきっかけにエリックは友達のボーやアティカスらとともに家出。アデリーパンギンのラモン(ロビン・ウィリアムズ)と供に向かった先は、彼の故郷であるアデリーランド。そこでエリックはアデリーペンギンのリーダー・ラブレイス(ロビン・ウィリアムズ=2役)にとって変わり、一躍人気者となっていた自称“空飛ぶペンギン”ことスヴェン(ハンク・アザリア)と出会い、彼に憧れを抱くようになる。
一方、エリックの家出を知ったマンブルは息子を追ってアデリーランドへ。無事再会を果たしたマンブル親子は皇帝ランドへと戻ろうとするのだが、その皇帝ランドは巨大な氷河によって封鎖されてしまっていた。このままでは皇帝ランドの皆は外に出ることが出来ず、飢え死にしてしまう。中には愛する母親、そして大勢の仲間たちがいる。
マンブル親子は皆を助けるため、決死の行動に打って出た....
 
 
うーん、まさかの期待はずれ!(^皿^;)。
前作が素晴らしい作品だったのにもかかわらず、今作はまさかの凡作。
これにはかなりがっかりさせられました。もちろんいくつかの場面では光るものもありましたが、全体的に見れば、かなり残念な出来でした。その理由をいくつかピックアップしてみたいと思います。
 
【主人公はいったい誰なの?】
そもそもこの物語、誰が主人公なのか今イチはっきりしません。
前作の主人公マンブルが子育てに悩む親としての話なのか?、それともその子供であるエリックの成長物語なのか?、主軸がはっきりとしないのです。
「いえ、その両方の話なんですヨ」
と言われちゃいそうですが、それにしてはあまりにも話が弱すぎます。ここは明確に前作でも主人公であったマンブルを主人公にして、子育てに悩む親としての葛藤を明確に主軸するべきだったと強く感じました。なぜなら、息子エリックを主人公にして彼の成長物語にすると、プロットがまんま1作目と同じになってしまうからです。
結局、主人公がはっきりしないから、物語として何を描きたいのかもあやふやで、いろんなテーマを盛り込みながらも、主軸がはっきりしないおかげで、物語としてはすごーく薄っぺらな作品となってしまっていたことが、とても残念に思いました。
  
【オキアミのウィルとビルについて】
マンブル親子のことが描かれるのと並行して描かれるのが、オキアミ(エビ)の二匹、ウィルとビルのエピソードです。群れの中で生きることに疑問を感じたウィル(ブラッド・ピット)は、オンリーワンを目指して大海へと冒険の旅へと出発する。親友のビル(マット・デイモン)はウィルのことが心配で彼のあとをついていく....といった内容なのですが、まあこれが見事に本編とはまったく関係のない話で蛇足感ありありだった訳です。もちろん、物語が言わんとしてることはわかるのです。一見無関係とも思える世界に生きている生物同士でも、この地球上ではそれらは密接に関係してるんだということを、ペンギンとオキアミの関係性に置き換えて主張しているのだと思うのですが、いかにもそれはあと付け感たっぷりで、強引さが否めませんでした。
何よりオキアミのエピソードのせいによって本編の物語がそのつど中断されるのが痛かった。オキアミの2匹によって描かれる物語(主人公が外の世界へと飛び出して成長し、やがて帰還する〜1作目のマンブルが正にそれ!)は、言うなればオーソドックスなコンセプトであり、決して目新しいものではありません。ただ、そういう物語は決して嫌いじゃないし、オキアミ2匹のキャラクターはすごく良かったので、それを描きたいのであれば、彼らをきちんと主人公にした別の作品として撮るべきだったと強く感じました。
 
【「ハッピー・フィート」はミュージカル映画ですよね?】
「2」を見ながら一番残念だったのは、この作品が全然「ミュージカル映画」になっていなかったことです。1作目では歌と踊りが作品の柱となっていましたが、今作「2」ではそれがあまり重要に感じられませんでした。確かに今作「2」も全編に渡って、歌や音楽、踊りが満載です(オープニングなどの楽しい映像は、オイラの期待値を高める滑り出しでした)。しかしながら、1作目のような〜作品を見ながら心も身体も動き出したくなるような〜高揚感は、「2」からは感じ取ることが出来ませんでした。確かにエリックが歌うオペラは感動的だったし、クライマックスでの大勢での足踏みは迫力はありましたが、例えば映画館を出た時に思わず身体を動かしたくなるような、そんな衝動にかられる感動は、今作から感じ取ることはありませんでした。
 
 
ここ最近、「ランゴ」「アーサー・クリスマスの大冒険」「ハッピー・フィート2」と、
たて続けにCGアニメばかりを見続けてきた訳ですが、はっきり言って今作が一番つまらなかったです。逆に言えば、それだけ一番期待していた作品だったということですが、それだけにこの出来にはかなりがっかりとさせられました。
作品の中でエリックがオペラ調で「♪大人はなぜ嘘をつくの〜?、ボクにはわからない〜」と歌い上げる場面がありますが、むしろオイラの方が「♪同じスタッフ&キャストなのに、なんで続編がこんなにもつまらないの〜?、ボクにはわからない〜」と、泣きたくなった「ハッピー・フィート2 踊るペンギンレスキュー隊」でありました。
 
 
      「♪なんで、こんなにつまらないの〜?」
      エリックなオイラ.jpg 
 
   
次回は、お約束の日本語吹き替え版について語りまっす。
こちらも明暗がはっきりと別れる結果となりました....。
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日の出は近い、急げ!アーサー〜「アーサー・クリスマスの大冒険」を鑑賞する [映画鑑賞]

キャラクターデザインはそれなりにいいなあと思ってはいたものの、なんとなく劇場鑑賞をスルーするつもりでいた「アーサー・クリスマスの大冒険」。が、製作があの「ウォレス&グルミット」を世に送り出したアードマン・スタジオと聞いちゃあ、黙って見過ごす訳にはいきません!。それまでタッグを組んでいたドリームワークスと袂を分かち、新たにソニー・ピクチャーズとタッグを組んで製作された今作。
果たして、どんなアニメーション作品が出来上がったのでしょうか?。
もちろん、オイラが鑑賞したのは2Dの日本語吹き替え版ですよっと!(^皿^)/。
 
「アーサー・クリスマスの大冒険」(原題:ARTHUR CHRISTMAS)
  監督:サラ・スミス(共同脚本も)
  音楽:ハリー=グレッグソン・ウィリアムズ
共同脚本:ピーター・ベイナム
声の出演:次男アーサー....ジェームズ・マカヴォイ
     長男スティーブ....ヒュー・ローリー
     サンタクロース20世(スティーブとアーサーの父親)....ジム・ブロードベント
     おじいちゃん(サンタクロース19世)....ビル・ナイ
     サンタクロース夫人....イメルダ・スタウントン
     妖精エルフのブライオニー....アシュレー・ジェンセン
     他
【あらすじ】
サンタクロースがトナカイにひかれたソリに乗ってプレゼントを届けたのも、今は昔。
現在は、サンタクロース20世の長男スティーブが構築したハイテク配送システムのおかげで、一晩に20億人の子供たちにプレゼントを届けることも可能となっていた。今やサンタクロース20世の仕事は、単なる名誉職となりつつあり、今では引退を考えつつあった。一方、実質的にサンタクロース事業を手がける長男スティーブは、クールな佇まいとは裏腹に内心では次期サンタクロース就任を心待ちにしていた。
その頃、次男で末っ子のアーサーは、ドジな性格が災いして、今では手紙係に左遷され、サンタ宛ての手紙にせっせと返事を書く日々を過ごしていた。妖精エルフたちからはバカにされているアーサーだったが、アーサーは誰よりもクリスマスを愛し、父であるサンタクロースのことを尊敬していた。
そんな時、事件は起こってしまった!。些細なミスからプレゼントがひとつだけ未配達だったことが判明したのだ。あせるアーサーをよそに、父サンタや長男スティーブは「たった一個ぐらいいいじゃないか」とまったくとりあってくれない。だが、アーサーだけは違った。
「世界中で自分だけにプレゼントが届かないと子供が知ったら、その子が可哀想だ!」
誰よりも優しい心の持ち主であるアーサーは、プレゼントを届けようと心に誓う。だけど届け先は北極からはるか遠くの地であるイギリス。そんなアーサーに助け舟を出したのが先代のサンタクロースであるおじいちゃん。
「なーに、昔ながらの方法で届ければいいんじゃ!」
こうしてアーサーはおじいちゃん愛用の空飛ぶそり“EVE(イブ)”に乗ってイギリスへと旅立った。日の出まであと数時間!、果たしてアーサーはイギリスに住む8歳の女の子グエンの元へ無事にプレゼントを届けられるのだろうか....!?
 
 
非常に面白い作品でした!。そして、すごく素敵な作品でした。
ディズニーやピクサー、或いはドリームワークスと、CGアニメはたくさんありますが、それらの作品とはまたひと味違った面白さの作品でした。さすが「ウォレスとグルミット」を世に送り出したアードマン・スタジオ!、期待を裏切りません。
オープニング〜さっそく楽しい映像で物語は幕を開けます。
クリスマスイブの夜。巨大なソリ型飛行艇S1で都市の上空に乗りつけるサンタクロースと無数の妖精エルフたち(船底はカモフラージュされており、一見すると空にしか見えません)。と次の瞬間、船底から無数の妖精エルフたちが降下してきます。その様子はさながら「M・I」のトム・クルーズのようであり、迷彩服に身を包んだ特殊部隊風妖精エルフたちがすばやい行動で、次々とプレゼントを各家々に届けていきます。その様子が実に楽しくて、これぞアニメ!といった趣きです。
中でもサンタクロースが子供に見つかってしまいそうになる場面は、爆笑必至。プレゼントのおもちゃを過って起動させてしまったサンタを助けるために、おもちゃの電池を抜くという、まるで爆弾解除のようなシーンは冒頭の見せ場で、ハラハラドキドキの爆笑シーンでした。
(でも、劇場ではオイラしか笑ってなかったなあ....苦笑)
 
主人公のアーサーは、なにをやってもドジばかりで、周囲からは煙たがられたり、バカにされたりしています。このあたりは「ヒックとドラゴン」のヒックと似ていますが、ヒックと決定的に違うのは、アーサーという人物はとても純粋なキャラクターとして描かれている点です。とにかくクリスマスを愛し、父親であるサンタクロースを尊敬しています。下手をすれば嘘臭くなるこのキャラクターを、今作では実にうまく描いています。
その一方で、アーサー以外の登場人物は、とても俗っぽく描かれています。
例えば、父親であるサンタクロース20世は、サンタクロースという職業の意義を忘れ、ただ長男の支持に従って流れ作業のようにサンタ職務をこなしています。長男スティーブは基本的に子供のことが嫌いで、子供達にプレゼントを届けることの意義や意味よりも、いかにして大量のプレゼントを効率よく正確に届けるのか?ということのみに重きを置いて仕事をしています。おじいちゃんに至っては、アーサーを助けるためではなく、単に引退した自分がまだまだ現役のようにやれるということを証明したいためだけに、アーサーを手助けします。サンタクロース家の中で、唯一クリスマスのことを真剣に考えているのが、ダメ人間のアーサーのみというのが実に皮肉です。そんな人たちが、アーサーの行動によって少しずつ心境の変化を見せていくところが、今作の最大の見所です。
 
クライマックス、ついに少女グエンの元にプレゼントを届けることに成功したアーサー。
父サンタや兄スティーブもそこへ駆けつけます。そこでアーサーは父にこう言います〜「お願いだからこれだけは見ていって!」....そう言ってプレゼントをもらって喜ぶグエンの姿を見せるのです。無邪気に喜ぶグエンの姿を見て、忘れていたサンタクロースという仕事の意義を思い出す父。長男スティーブもまた、この時になって初めて自分よりもアーサーの方が時期サンタクロースに適任だという事に気付き、職務を譲ることを決意します。それまでバラバラだったサンタクロース家がひとつにまとまる、とても感動的なシーンとなっています(少女グエンがアーサー=サンタクロースを目撃する場面も、とってもおしゃれな演出になっています!)。
唯一この作品で残念だったなあと感じた部分は、サンタクロース夫人の描き方です。
基本的にこの作品で描かれているのは、父と息子の物語であり、それ故に母親の存在感がやや希薄でした。全編にわたりおっとりとした上品なキャラクターとして描かれていたサンタクロース夫人。夫婦愛は多少描かれてはいるものの、息子たち(アーサーやスティーブ)に対する愛情の描き方が、今一歩といった感じでそこだけが唯一残念な部分でした。
 
アニメに限らず、魅力的な脇役は物語を盛り上げるのに重要な役割を果たしますが、今作ではアーサーと行動を供にすることになる妖精エルフのブライオニーが、実にいい味を出していました。ブライオニーはラッピング部門に所属するスペシャリストで、どんなものでもテープ3切れで包装出来ることが自慢の妖精エルフ。せっかく包装したグエンへのプレゼントが破られやしなか?と不安で、アーサーの冒険につき合うことになるのですが、時にアーサーを励まし、時に叱咤激励をしながら、アーサーをサポートしていきます。中でも圧巻なのが、クライマックスで見せる包装テクニック。アーサーの運転で疾走する自転車(グエンへのプレゼントなのに、それを使用しちゃうアーサー!...笑)を走りながら包装していく様子は、見所のひとつとなっています(途中で使い切った包装紙のロールを、リサイクルのゴミ箱に捨てていくのが芸細!)。
余談ですが、実は作品を見ている間中ずっと、ブライオニーのことをゲイのキャラだと思っていました。妖精エルフにはいろんなタイプ(白人、黒人、黄色人種、etc)が存在していて、それこそ人間と変わりないのですが、ブライオニーの容姿がパッと見、男か女かハッキリとしないので、てっきりオイラはゲイだとばかり....。でも、エンディングでブライオニーのことを“彼女”と呼んでいたので、どうやらブライオニーは女性だったみたいです。英国のアニメだから妖精エルフにゲイがいてもおかしくはないと思ったんですが、さすがにそれはなかったみたいです....苦笑
 
 
「アーサー・クリスマスの大冒険」は、アニメとして非常に楽しい作品となっています。
この作品にはいわゆる“悪人”が出てきません。そういった意味でもファミリー向け映画として、実にぴったりだと思います。子供さんたちは間違いなく楽しめると思いますし、もちろんかつて子供だった大人の方も、充分楽しめる作品です。笑い(笑える小ネタがとにかく無数にあります!)あり、ハラハラドキドキあり、そして感動の涙ありと、エンターティメントとしては非常によく出来た作品でした。
来月にクリスマスを控えた今だからこそ、お薦めしたい作品です。
ご家族で、カップルで、是非「アーサー・クリスマスの大冒険」をご鑑賞下さい!。
(オイラはひとりで見たけどね!....笑)
 
 
     うーん、他人とは思えないアーサーのデザイン♪
     アーサーとオイラ.jpg
 

Arthur Christmas

Arthur Christmas

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: Sony Class
  • 発売日: 2011/11/22
  • メディア: CD

ハリー=グレッグソン・ウィリアムズは、いい仕事してました♪。
これはオイラのHGWコレクション入り決定!(^皿^)。
エンディングに流れるビル・ナイの♪MAKE SOMEONE HAPPYが、渋くてよいです。
....っていうか、まんまジミー・デュランテ節を完コピ!。
 
劇中にアードマン・スタジオの人気キャラ・羊のショーンが出てきます。
どこで出てくるかは、作品を見てのお楽しみ♪(^U^)
 
 
次回は、お約束の日本語吹き替え版について語りまっす♪(^皿^)。
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進む道は、自分で決められる〜「ランゴ」を鑑賞する [映画鑑賞]

ゴア・ヴァービンスキー監督と言えば、大ヒットした「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズが有名ですよね。オイラも1作目を見た時は、ディズニーランドの単なるアトラクションをうまく映画化したなあとそれなりに評価していた訳ですが、2作目、3作目と続いた続編は、冗長なばかりで映画としての面白さはまったくないという駄作で、オイラの中でヴァービンスキー監督の株はどんどん下がるばかりでした。
そんな中やってきた、ゴア・ヴァービンスキー監督の新作「ランゴ」。
今作は、西部劇愛に満ちたまったくのオリジナル作品。
これが単なる新作なら劇場鑑賞をスルーするところですが、オイラ好みの個性的なキャラクターデザインや好きな西部劇とくれば、これは見ない訳にはいきません。もしこれがダメだったら、ゴア・ヴァービンスキー監督に、永遠の別れを告げることになるでしょう。
 
「ランゴ」(原題:RANGO)カラー/107分
  監督:ゴア・ヴァービンスキー
  音楽:ハンス・ジマー
声の出演:ジョニー・デップ(ランゴ〜カメレオン)
     アイラ・フィッシャー(マメータ〜トカゲ)
     アビゲイル・ブレスリン(プリシラ〜ネズミ)
     アルフレッド・モリナ(ロードキル〜アルマジロ)
     ビル・ナイ(ジェイク〜ガラガラヘビ)
     ネッド・ビーティ(町長〜陸ガメ)
     他
 
【あらすじ】
悠々自適な生活をおくるランゴ(ジョニー・デップ)は、お芝居に夢中のカメレオン。
ある日、彼を飼っている家族がハイウェイを移動中アクシデントに遭遇、ランゴはひとり砂漠のド真ん中に放りだされ、置き去りになってしまった。困惑するランゴだったが、なんとか近くの町ダートタウンへと辿り着く。そこはさびれた西部の町。命のもとである“水”が尽き果てようとしていたその町で、ランゴは軽い気持ちでついた嘘のおかげで、保安官として働くことになる。ヒーロー気分を満喫してまんざらでもないランゴだったが、巨大な陰謀が密かに彼へと迫っていた....
 
 

映画「ランゴ」は、“魂の再生”の物語である。
それまで漠然と過ごしてきた人生に、ある日突然転機が訪れる。それも半ば強制的に。
当初は、持ち前のバイタリティで身の回りで起こる問題をそつなくこなしていくランゴ。が、それもやがて限界がやってくる。偽りの姿は、所詮偽りの人生なのだ。そのことに気付いた彼を襲う、絶望という名の暗い闇。闇に囚われ、もはやこれで人生も終わりという正にその時、ランゴは暗闇の中で一筋の光を見いだす。光りの中に現れたのは、“西部の精霊”である。彼は、ランゴに語りかける....
「自分の進む道は、自分で決められる」と。
ランゴは、一度死ぬ。そして、生まれ変わる。
再生した彼は、自分自身の足で立ち上がる。
そして、自ら進むべき道を決断するのだ。
そこに偽物の自分はもはや存在しない。
そこには、紛れもない本当の自分(ヒーロー)が存在するのである。
 
ゴア・ヴァービンスキー監督の、西部劇愛に満ちた異色西部劇。
CGアニメだからといって、決して子供向けのお話ではない。
ましてや、可愛いものが好きな女性向けの作品でもない(この作品に、可愛いキャラクターは一匹たりとも出て来こない!)。
これは、まぎれもなく大人の男たちに向けられた寓話。
もちろん、西部劇のお約束も満載だ。ランゴ(よそ者)が酒場に入った時の、あの雰囲気がたまらない。決闘場面での、ヒリヒリする緊張感(乾いた風、転がるカラ草、時計塔の針が動く時の音....ガンコン!)。そして、迫力の馬車チェイスシーン。どれもこれもが西部劇を見ていると目にするお約束の光景が随所で見られ、実に楽しい。
登場人物たちも実に魅力的だ。
先述したように、この映画に可愛いキャラクターは一匹たりとも出て来ない(正にディズニーとかピクサーとは対極に位置する作品)。でも、そこがいい!。ゴア・ヴァービンスキー監督は「パイレーツ・オブ・カリビアン」でもデイヴィ・ジョーンズをはじめとする不気味な海賊たちを登場させたが、そのセンスは決して間違ってない。
アシンメトリーなデザインが秀逸な主人公のランゴを始め、ギョロ目が実に不気味なヒロインのマメータ、鼻先がリアルすぎる子ネズミのプリシラ(演じるアビゲイル・ブレスリンは、めっちゃ可愛いのに!)、そして醜く汚いダートタウンの面々。その中でも、突出すべき存在感を見せるのは、ランゴの前に立ちはだかる凄腕ガンマンの殺し屋・ジェイク(ガラガラヘビ)。気味悪さとかっこ良さ(模様がヒゲになってるところを見逃すな!)を併せ持つ、正にこれぞ悪役!といったところだ。
興味深いのが、このジェイクによってランゴは一度“殺される”のだが、それが銃を使わずして殺すという(それがどういう意味なのかは是非劇場で確かめて欲しい)のが面白い。ランゴを奈落の底に突き落とす一方で、生まれ変わったランゴを漢(おとこ)として認めるのもまたジェイクなのが泣かせる。ジェイクは紛れも無く悪役ではあるが、今や数少ない西部の漢(おとこ)でもあるのだ。「パイレーツ・オブ・カリビアン」でディヴィ・ジョーンズを演じたビル・ナイの好演が光る。
 
一時はオイラの中で急落したゴア・ヴァービンスキー監督の株価だったけど、今作「ランゴ」で再び急上昇することになった。この監督、まだまだ信用出来る!(^皿^)。


 

ランゴ オリジナル・サウンドトラック

ランゴ オリジナル・サウンドトラック

  • アーティスト: サントラ
  • 出版社/メーカー: SMJ
  • 発売日: 2011/10/19
  • メディア: CD

♪ランゴ〜、ランゴ〜
オープニングからこれぞマカロニウェスタンな音楽を聴かせてくれるハンス・ジマー先生。フクロウ楽団の連中が実に楽しい。これはオイラのハンス・ジマーコレクション入り決定!(^皿^)v。
  
 
実は当初、日本語吹き替え版を鑑賞しようと思っていたのだけれど、思いのほか吹き替え版の上映館数が少なくて、仕方なく今回は字幕スーパー版での鑑賞となった訳だが、映画が始まってすぐ「やっぱり吹き替え版で見れば良かった!」と強く思うのであった。
冒頭に登場するアルマジロの台詞が、その大きな要因である。実はアルマジロの声を担当するアルフレッド・モリナは、いわゆるメキシコ訛りの英語を喋っていたのだけれど、その雰囲気を表現するために字幕が関西弁になっていたのだ。だが、これが結構微妙な感じだったのである。いや、字幕を関西弁に変えたこと自体は別にいいのだ。要するに、関西弁を文字で読むということへのもどかしさを強く感じたのである。
以前、「シュレック4」に関する記事で浜ちゃんの関西弁に触れましたが、英語訛りを日本語の方言で表現するというのは、演出としてうまい置き換えだなと思う。しかしながら、それはやはり字幕ではなく吹き替えで体現したい。果たしてこのアルマジロの台詞、日本語吹き替え版ではどうなっているのか?、非常に興味がわくところであります。またランゴがジョニー・デップだとすると、おそらく日本語吹き替え版でランゴの声を担当するのは、平田広明さんだと推察されます。平田さんによるランゴの声で作品を見たら、作品から受ける印象もまた、違ったものになるかもしれません。このあたりはソフト化された時、改めて確かめてみたいと思います(^皿^)/。
  
   
 
      「ボクって、いったい何者!?」
      ランゴ.jpg
  
    

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反旗を翻す時が遂にきた!〜「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」を鑑賞する [映画鑑賞]

映画「猿の惑星」(1968)と言えば、オイラが子供の頃などはしょっちゅうテレビで放映していたので、とても馴染みのある作品でした。当時は人間と猿の立場が逆転したSF世界を純粋に楽しんだりしていたものですが、やがて大人になるにつれて、実は猿が日本人や黒人のメタファーなんだということを知り、「なるほど映画というものは、そういう見方をすることも出来るんだ!」ということを教えてくれた作品でもあります。
そんな「猿の惑星」の世界が、現代に甦ります!。
「なぜ人類は地球の支配権を猿に譲ることになってしまったのか?」その顛末が描かれるのが、今作「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」です。猿好きのオイラとしては、「キングコング」以来の映像が見られるかも!?と、期待感でワクワクです♪。
果たして、作品の出来やいかに....?。
(今記事は、作品の内容に思いっきり触れています....注意!)
 
「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」カラー/106分
監督:ルパート・ワイアット
音楽:パトリック・ドイル
出演:ジェームズ・フランコ、フリーダ・ピント、ジョン・リスゴー、トム・フェルトン、ブライアン・コックス、and アンディ・サーキス 他
【あらすじ】
製薬会社の研究所に勤めるウィル(ジェームズ・フランコ)は、アルツハイマー病の回復に役立つ新薬の開発に取り組んでいた。研究者としての熱意はもちろんだが、何よりアルツハイマー病に冒された父チャールズ(ジョン・リスゴー)を助けたい一心が、彼の原動力だった。ある日、研究中の新薬が飛躍的な効果を発揮することが判明する。喜ぶウィルだったが、臨床実験中だったチンパンジーが突如研究所内で大暴れし、警備員に射殺されてしまった。ウィルは事態の責任を取らされ、研究は中止となってしまう。だが、その一方で奇跡は起こる。射殺されたチンパンジーは妊娠しており、その子は親の賢い遺伝子を受け継いでいたのだ。“シーザー”と名付けられたそのチンパンジーは、ウィルとともに生活をしながら成長していき、やがて手話さえもこなすほどの賢い猿となっていた....。
一方、新薬を投与された父チャールズは、いったんは回復を見せたものの、病が再発してしまう。近所を徘徊して隣人とトラブルを起こしたチャールズを助けたい一心で、シーザーは隣人を傷つけてしまい、結果的に保護施設送りとなってしまった。そこでシーザーは、自分と同じ猿が飼育員によって虐待されている事実を知ることになり....。
 
 
 
監督のルパート・ワイアットは今作が長編としては2作目とのことですが、なかなかどうして堅実な演出を見せてくれます。なによりこの壮大な物語をわずか106分でまとめてしまうその手腕には、素直に脱帽するしかありません。近年、このテの大作は2時間超えが当たり前のようになっていますが、今作においてルパート・ワイアット監督は非常にシャープな演出が光り、最初から最後までだれることなく、一気呵成に物語が進んでいきます。それでいて見せるべきドラマ部分とアクション部分とが絶妙なバランスで組み立てられていて、非常に見応えのある作品となっていました。
 
注目だったCG製の猿たちの映像も、当初こそそういう意識で見ていましたが、途中からはそんな意識もなくなり、まさにそこに実在するキャラクターとして、確かな存在感を示していました。ジェームズ・キャメロンやピーター・ジャクソンを例に挙げるまでもなく、こうした映像を撮る作家には、ある種のセンスが要求される訳ですが、ルパート・ワイアット監督はその部分でも非凡な才能を見せてくれました。デジタル技術を駆使した映像を確かな演出力で見せるルパート・ワイアット監督、この先非常に注目すべき監督だと感じました。
 
 
物語の中盤、霊長類保護施設内。
虐待を続ける飼育員(「ハリポタ」でお馴染みのトム・フェルトンが、実に憎たらしい役を好演していてグッド!)と、施設内で遂に対峙することになるシーザー。スタンガン仕様の警棒を突きつけ「檻の中に戻れ!」と叫びながら攻撃してくる飼育員。が、次の瞬間、飼育員の手を掴んだシーザーは、万感の思いを込めてこう叫びます....
 
 
NO!(嫌だ!)
 
 
この瞬間、オイラの涙腺は完全に崩壊しました...(^皿^)。
号泣ですよ、大号泣!
ここで泣けないヤツとは、絶対トモダチにはなれません。
虐げられ続けたシーザーが、遂に立ち上がり行動を起こすその姿に、オイラはただただ感動し、ひたすらシーザーを応援するのでありました。
そして、ここから物語は怒濤のごとく進んでいきます。施設内を脱走したシーザーたち猿軍団は、まず研究所を襲撃。実験台となっている猿たちを救出します。次に向かったのが動物園。同じく捕われの身だった猿たちを解放します。そして、最終的にシーザーが目指した場所は、かつてウィルが連れて行ってくれた森林公園。ゴールデンゲート・ブリッジのその先に目指す場所があります。この橋を舞台にして、人間VS猿の激しい戦いが繰り広げられることになります。果たして、シーザーは安住の地である森林公園に辿り着けることが出来るのでしょうか?。その結果は、是非皆さんご自身の目で確かめて下さい(注目はゴリラです!、ゴリラに泣かされます!)。
 
 
人類の驕りに警鐘を鳴らす「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」。
科学とはいったい何なのか?、人は他の動物とどう接するべきなのか?、....など、作品を見たあとで、とにかくいろんなことを考えさせられる今作。この秋、というか人間なら絶対観ておかなくてはならない大注目の映画です。
猿好きのオイラも自信を持ってお薦め出来る作品です。是非劇場へ!。
  
 
 「シーザーのだんな、人間なんてとっととやっつけてしまいましょーぜ!」
 シーザーとオイラ.jpg
 
パトリック・ドイル/オリジナル・サウンドトラック 『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』

パトリック・ドイル/オリジナル・サウンドトラック 『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: ジェネオン・ユニバーサル
  • 発売日: 2011/09/28
  • メディア: CD
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パトリック・ドイルの音楽、良かったな。
これはオイラのコレクション入り決定!(^皿^)。
 
 
ところで、映画の性質上、どうしてもシーザーばかりに目が行きがちだけど、やはり御大ジョン・リスゴーの名演にも触れておかねばなりません。久しぶりにそのお姿をスクリーン上で拝見したけど、やはり彼は名優ですね!。アルツハイマー病に冒されたキャラクターを見事に演じきっていました。猿、ジョン・リスゴーと言えば、ハートフル・コメディの傑作「ハリーとヘンダースン一家」が思い起こされる訳ですが、何故だかこの作品いっこうにソフト化される気配がありません。何か権利問題でもあるのでしょうか?。とにかくこの名作コメディを早くソフト化して欲しいです。もちろん、その時は青野武さんによる吹き替え版を収録して下さいな♪(^皿^)。
  
 
それから、これはまったくの余談ですが。
プログラムに森の中でショットガンを構えるブライアン・コックスのスチール写真が載っていたんですが、劇中ではそのシーンがありませんでした。恐らく想像するに、子供をシーザーに殺された保護施設所長(ブライアン・コックス)が、仇を討とうとする場面がクライマックスにあったのではないでしょうか?。結局ばっさりカットされた(ルパート・ワイアット監督のその潔さにも拍手!)んだと思いますが、このあたりはソフト化された時にディレクターズカット版として復活してもいいかも!?。
   

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週末は、ジェフ・ゴールドブラム・デー [映画鑑賞]

なんとなくジェフ・ゴールドブラムを見たくなったので、
週末は、ジェフ・ゴールドブラムの2本立て。
まずは、何と言ってもコチラから。


ザ・フライ (2枚組特別編) [DVD]

ザ・フライ (2枚組特別編) [DVD]

  • 出版社/メーカー: 20世紀フォックスホームエンターテイメントジャパン
  • メディア: DVD

久しぶりに見たけど、ジェフ・ゴールドブラムが若いッ!(当たり前か)。
そして、目が異常にでかいッッ!!(それも当たり前)。
一瞬、「ロード・オブ・ザ・リング」のゴラムかと思ったぞ(^皿^)。
ひと昔前は、こういう作品が普通に地上波で見られたのに、恐らく今の世の中の風潮だとこの作品、地上波放送は完全にアウトなんだろうなあ。裏返しになったヒヒとか最高なのに。当時はものすごく斬新だと感じたクリス・ウェイラスの特殊メーキャップやハエ男のモデルなどは、さすがに古臭い感は否めなかったけれど、生々しさとかは今でも新鮮だった。
因みに今作でジェフ・ゴールドブラムの声を担当しているのは、津嘉山正種さん。
テレビ放映時の吹き替えらしい。ちょっと、シブすぎるかな?。
 
お次はコチラ。



やっぱりジェフ・ゴールドブラムは、学者系の役がよく似合う(^皿^)。
そしてジェフ・ゴールドブラムの声は、やっぱり大塚芳忠さんなのだな!。
因みにオイラは「ジュラシック・パーク」は、劇場に3回観に行った。それだけ当時はデジタルCG映像の恐竜が衝撃的だったのだ。劇中でブラキオサウルスを見てサム・ニールが驚愕する場面があるけど、当時のオイラは座席でスクリーンを見ながら、サム・ニールと同じ顔をしていたのであった(^皿^)。もっともさすがに今見返すと、めちゃめちゃショボいCGだけどね。その一方で故スタン・ウィンストンの作ったライフサイズのT-REXは、今見ても大迫力!なのでした。
 
 
      学者系役者:ジェフ・ゴールドブラム!....最近見ないなあ
      ジェフ・ゴールドブラム.jpg
      目がでかい、鼻もでかい、おまけに図体もでかいと、3拍子揃った男。
      きっとあそこも....(以下自粛)。
 
 
そう言えば、シュワちゃんの「トゥルー・ライズ」にジェフ・ゴールドブラムっぽい顔をした役者(氏名不詳)が出てたなあ...。
   
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意外といいんじゃない?〜「モールス」を鑑賞する [映画鑑賞]

昨年、日本でも劇場公開されたスウェーデンのホラー映画「ぼくのエリ〜200歳の少女」。
今作「モールス」は、そのハリウッドリメイク作品です。
オイラは雑誌「映画秘宝」に掲載されていた「ぼくエリ」のスチール写真にひと目惚れし、昨年劇場まで勇んで観に行った訳ですが、残念ながら作品に関しては“ものすごくハマった!”とまではいきませんでした。なので、このハリウッドリメイク作品についてもそれほど積極的ではなかったのですが....
主演がクロエ・グレース・モレッツと聞いては、見ない訳にはいきません!。
彼女の出世作「キック・アス」を劇場まで見に行けなかったオイラは、そのお詫びも込めて今作「モールス」を劇場まで見に行くことにしたのでありました(^皿^)。
 
 
「モールス」(原題:LET ME IN)116分 カラー
 監督:マット・リーヴス
 音楽:マイケル・ジアッキーノ
 出演:クロエ・グレース・モレッツ
    コディ・スミット=マクフィー
    リチャード・ジェンキンス
    イライアス・コティーズ
    他
【あらすじ】
時は80年代。ニューメキシコ州にある、雪に閉ざされた町。
オーウェンは12歳の少年。両親は離婚協議中のため、今は母親との2人暮らしである。学校では同じクラスの同級生らにいじめにあう毎日....オーウェンはとても孤独な日々を送っていた。そんな彼の趣味は、同じ共同住宅の住人たちの生活を望遠鏡で覗き見することだった。
ある日のこと、オーウェンの住む共同住宅にひと組の父娘(おやこ)が引っ越してきた。女の子の名前はアビー。冬だというのに裸足でいる彼女に好奇心をおぼえたオーウェンは、やがて同世代の彼女と親しくなっていく。
一方、時期を同じくして、オーウェンの住む町では猟奇的な殺人事件が頻繁し始めていた....
 
 
 
リチャード・ジェンキンスとか、イライアス・コティーズとか、実にいい顔をしたおっさん俳優が大活躍してますよっと♪(あと体育教師役の役者さんとか)。 
映画を見る前からこの作品に対する期待値が低かったからでしょうか?、見終わった時の率直な感想は「そんなに悪くないぞ」というものでした。いや、もちろん問題点や不満点はたくさんあるのです。ただそれよりも、オリジナル版である「ぼくエリ」よりも良かった点が結構あって、そっちの方が個人的には際立ってしまったのです。
まずはそのあたりについてちょっと触れてみましょうか。
(今回も、記事長いよ!)
 
 
【少年オーウェンがいい!】
主人公であるオーウェンを演じたコディ・スミス=マクフィー君の容姿が、いかにもいじめられっ子的容姿であり、そこが良かった!。
主人公がいじめられっ子であるというのは、この物語にとっては非常に重要な構成のひとつなので、やはりビジュアルは重要です。オリジナル版の「ぼくエリ」ではこの要素が非常に弱かった。「ぼくエリ」でオスカルを演じたカーレ・ヘーデブラント君はそれなりの雰囲気は出ていましたが、なにより金髪の美少年であり、いじめられっ子のイメージとはほど遠い容姿でした(むしろ、どちらかというといじめっ子キャラの方がしっくりくる外見)。
一方、今作「モールス」でのオーウェン少年は、華奢で動きもナヨナヨしており、目つきも悪い。正にいじめられっ子そのものの風情が満載です。もちろん原作の主人公とは若干イメージは違うのですが、いじめられっ子という点においては、容姿や佇まいが正に100パーセントだったと言えるキャスティングでした。
 
【いじめをちゃんと描いているところがいい!】
上記にも関することですが、今作「モールス」では主人公オーウェンの辛い日常がきちんと描かれているところに、とても好感が持てました。「ぼくエリ」ではいじめの場面が少なく、そのためオスカルの孤独感が今イチ伝わりづらい構成になっていたのですが、今作「モールス」ではオーウェンが頻繁にいじめられる場面が出てきます。ちゃんとおもらしする場面も描かれています。いじめの場面は見ていて楽しいものではありませんが、それでもこの物語に於いてはとても重要な要素のひとつです。それをきちんと描いたマット・リーヴス監督に「なかなかやるじゃん!」そう思わずにはいられませんでした。
 
【ヴァンパイア化した時のアビーが、いい!】
今作「モールス」も「ぼくエリ」と同じく、アビー(エリ)がヴァンパイア化した際、その容姿が極端に変わることはありません。ただし、このハリウッド版はビジュアル的になかなか面白いものを見せてくれます。オーウェンがエリに対して「血の交わりを結ぼう」と自らの指を傷つけ血を見せると、アビーはヴァンパイアとしての本性をむき出しにします。血液を目の前にして、アビーは目の色が文字通り変化し、歯をむき出しにします(残念ながらドラキュラ的な牙は無し)。面白いのは、その時の肌の変化。まるでにきびや皮膚病のようなものが肌に浮き出てくるのです。それが結構斬新な映像となっていて、見応えがありました。プログラムにも触れてありましたが、マット・リーヴス監督は思春期特有の身体的悩みを象徴して見せたんだとか。なかなかユニークな視点であります。
 
【実に正しい採血方法!】
「ぼくエリ」の冒頭でホーカン(今作でいうところの“父親”)がエリのために殺人を犯す場面があります。が、この場面が実に間抜けなシーンとなっていて、公開当時オイラは映画を見ながら「お前はバカか?」とスクリーンに向かってツッコミを入れまくっていたのです。というのも、ホーカンが月明かりがこうこうと照らされた明るい場所で殺人(血を抜く作業)をしていたからです。「そんな明るい場所で犯罪をやってたらみんなにバレますよー」と心配していたら、案の定通りがかりの人に現場を目撃されてしまうホーカン。長年エリのために“採血”してきたとは思えないホーカンの無能ぶりに、オイラはあきれてしまった訳です(裏読みすれば、ホーカンの採血方法が段々雑になってきているとも受け取れますが、残念ながらオイラはそこまで寛大じゃないぞ!)。
で、同じシーンが当然「モールス」にもあった訳ですが、今作では同じ林の中でもちゃんと薄暗い場所を選んで“採血”をしています。実に正しい殺害方法です。首をちゃんと刺す場面があるのもいい(こういう場面をごまかして撮っちゃダメ!)。オイラが「ぼくエリ」を見てギャフンときた場面を、正しい映像に修正してくれたマット・リーヴスにはグッジョブ!と言わざるを得ません。
 
【キラリと光る、マット・リーヴスの演出!】
その殺人に関して、マット・リーヴスは、なかなかの演出を見せてくれます。
今作「モールス」でアビーの“父親”は、採血のための標的を車の運転をしている人間を選びます。標的とする人物がいったん車を離れると、その隙に車内のバックシートへと潜り込み、拉致の機会をじっと待ちます。やがて人気のない場所(今作では踏切)まで車がくると、ゆっくりと身体を起こし、標的を襲うのです(因みに、この時点では殺しません。眠らせるだけです)。この一連のシーンが実に緊張感に包まれており、見応え充分。正にホラー映画のあるべき正しい姿です。また、その後同じ方法で拉致しようとして失敗する場面がありますが、その模様を車内に設置したカメラでワンカットで見せる映像など、なかなかユニークな映像もあり、その才能を垣間見せるマット・リーヴス監督には、なかなかなものを感じました。
 
 
.....とこのように、今作「モールス」はオリジナル版「ぼくエリ」よりも優れた点がいくつもあって、それが個人的にはキラリと光って見えました。だからこそ、逆に残念だった部分もより際立ってしまいました。今度はそのあたりについて感じたことをいくつか。
   
 
【なぜ、コピー映像が満載なのか?】
リメイクだからと言って、その画作りまでそっくり真似する必要はないでしょう。
むしろ映像作家であれば、リメイク作品を作る際、オリジナル映像とは違うビジュアルを模索するのが普通だと思います。例え同じ場面であったとしても、「お前がそう撮るなら、俺はこう撮るぜ!」みたいなそういう思考が映画監督としては正しいと思うのですが、マット・リーヴス監督はなぜかオリジナル映像をそのままコピーしたとしか思えない映像を撮りまくっています。アビーの父親が病院から墜落する場面、アビーが通行人を襲う場面、衝撃のクライマックス場面など、とにかくオリジナル映像をそのまんま模倣したとしか思えない映像だらけで、逆にそのことにちょっと驚いてしまいました。そしてなぜここまで徹底して映像をコピーしたのか?が理解出来ませんでした。先に述べたように要所要所では冴える演出を見せてくれたマット・リーヴス監督。出来ることならオリジナル版とはひとつも同じような映像は作らないぜ!ぐらいの意気込みで、今作を撮って欲しかったです。
 
【これが特殊メーキャップの限界なのか?....否!】
アビーの“父親”がもしもの時のために用意していたもの....それは硫酸。警察に捕まっても身元が判明しないようにと硫酸を顔に浴びせかけるためのものです。そして遂にその時がやってきます。父親は硫酸を浴び、その顔が焼けただれてしまいます。オリジナル版「ぼくエリ」では、その特殊メーキャップの出来が今ひとつだったため、ホラー映画ファンとしては今作にハリウッド的凄腕メイクを期待していたのですが、今作でも残念ながらその出来は今ひとつでした。確かに「ぼくエリ」と比べればそのクオリティは優れていましたが、オイラ的にはもっと出来るんじゃない?という思いの方が強かったです。
昨今は皆デジタルCGに頼りすぎていて、特殊メーキャップ業界も人材が不足しているのかな?とちょっと心配になったオイラです。オイラはリック・ベイカーやロブ・ボッティン全盛期をリアルタイムで体験してきた世代なので、特殊メーキャップの持つパワーを信じています。「ダークナイト」のトゥーフェイスに代表されるように、最近では特殊メイクもデジタルCGの恩恵を受けることが多くなりましたが、それでもオイラはアナログな特殊メーキャップの持つ凄さを知っています。そんな意気込みを感じさせるような特殊メーキャップを見せて欲しかった!。
 
【マンガちっくな、CGアニメーション】
アビーが人を襲う場面で、その挙動の凄さを見せるためにモーション(動き)をCGモデルに置き換えて見せているのですが、それがいかにもマンガ的で残念な画となっていました。例えば、「スパイダーマン」のように、ライブアクションでは不可能なアクションシーンに、CGモデルを使用することはよくあります。オイラはアクション場面にCGモデルを使用するその映像自体は別に嫌いな訳ではありませんが、この作品に於いてはそこだけが妙に浮いていて、違和感大でした。別にライブアクションだけでもそれなりに迫力ある映像は撮れただろうに、なんだか安易にCGモデルに頼ってしまった感は否めませんでした。
 
【いわゆる“ボク”問題について】
このリメイク作品に於いて、最も問題だと思われる点は、アビーのいわゆる“ボク”問題についてです。「ぼくエリ」をご覧になった方ならもうおわかりのように、女の子だと思われていたエリは実はかつては男の子であり、それが去勢されて今のような姿で何百年も過ごしてきた(意識的になのか?はたまた無意識になのか、エリは少女という側面を利用して生きてきた)という驚愕の事実があるのです。「ぼくエリ」ではエリが着替える際にそこを覗いたオスカルがそのことに気付く場面があるのですが、なんとマット・リーヴス監督はその場面を丸々削除しているのです!。「ぼくエリ」ファンからは「そこは一番カットしちゃいけないところだろう!」との声が聞こえてきそうですが、実をいうとオイラ的にはそれほど気にはなりませんでした。
プログラムで柳下毅一郎さんも触れられているように、この作品は完全にオーウェンの思春期物語として描かれており、その視点からするとアビーはオーウェンが恋する異性の対象である必要があり、かつてアビーが男の子だったという情報はそんなに重要なことではありません。マット・リーヴス監督もその点について「作品の軸がぶれるから、そこは敢えてカットしたんだ。あとは見る人が自由に判断してくれればいいよ」というスタンスで、その潔さに逆に感動すら覚えてしまいました。
 
 
よく原作物が映画化された際、「原作と違う!」と怒る人がいますが、オイラは元々原作とそれを元にした映画はまったくの別物だと思っています。だから、今作「モールス」でマット・リーヴス監督がアビーがかつて男の子だったという、原作において最も衝撃的な部分をばっさりカットした英断には、逆に拍手をおくりたい気分です。自身が映画化した際、物語で何を一番伝えたいのか?、その主旨はすごく明確な作品でした。それ故に、オリジナル版のコピー映像が満載な点に関してはすごく残念でした。ひょっとしたら、リメイク化に際して、オリジナル作品と同じような映像をいくつか挿入するように、そんな制約でもあったのかな?と逆に勘ぐってしまいました。
 
そんなコピー映像だった、いわゆる衝撃のクライマックスについてもひと言だけ。
オーウェンがプールでトレーニングを受けていると、いじめっ子達が登場。オーウェンはそこで無理矢理水中に沈められるといういじめを受けます。そこにアビーが登場、いじめっ子たちを虐殺していきます。プールに沈められているオーウェンには最初何が起こっているのかがわかりませんが、水中にいじめっ子たちの肉片(頭部とか)が沈んでくるのを見て、初めてプールサイドで何が起こっているのかを理解します。そして、オーウェンがプールサイドにあがると、そこにアビーが佇んでいるのです。
これは「ぼくエリ」とまったく同じ展開であり、「ぼくエリ」を見た時にも感じたことなのだけど、少年たちをアビー(エリ)が虐殺する場面をオーウェン(オスカル)に見せないというのは、卑怯だと思うんですよね。アビー(エリ)が持つヴァンパイアとしての残虐さ、残酷さをオーウェン(オスカル)見た上で、それでもなおアビーについていく決心をしたというのなら、彼の決心みたいなものを感じられてエンディングの余韻もまた違ったものになったのでしょうが、残念ながらエンディングのオーウェンは実にのんきです(鼻歌とか歌ってるし)。なんだかプチ家出を楽しんでる少年のようにも見えました。まあ考えてみれば、この先オーウェンには地獄のような生活が待っている訳で、そんなことも知らず、のんきに鼻歌なんかを歌ってるオーウェンの姿が、かえって切なくもあるんですけどね。
 
今作「モールス」は、「ぼくのエリ〜200歳の少女」のリメイク作品であります。
一見すると同じような作品ですが、実は微妙に違う作品でもありました。
想像していたよりも楽しめたし、マット・リーヴス監督の次回作にもちょっと注目してみたくなった「モールス」でありました(^皿^)。
 
 
 
  「....あー、使えない男って、大嫌いッ!」
  クロエといっしょ.jpg
   
ぼくのエリ 200歳の少女 [DVD]

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キック・アス Blu-ray(特典DVD付2枚組)

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マイケル・ジアッキノ/オリジナル・サウンドトラック 『モールス』

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  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: ジェネオン・ユニバーサル
  • 発売日: 2011/07/27
  • メディア: CD

マイケル・ジアッキーノは、ほんといい仕事するよなあ。
「カーズ2」での仕事ぶりも気になります(^皿^)。
   

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「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」に登場する、各ミュータントについての覚え書き〜その2 [映画鑑賞]

前記事からの続きです(^皿^)/
今回は、前回紹介しきれなかった残りのミュータントについて語りまっす。
 
【バンシー】
本名ショーン・キャシディ。口から超音波を発することが出来るミュータントです。
バンシーとはヨーロッパ地方に伝わる妖精で、耳をつんざく悲鳴が有名です。
演じるは、キャレブ・ランドリー・ジョーンズ。
一見するとなんだか「ハリポタ」に出てそうな役者さんであります。
元々バンシーは強烈な怪音波を発して相手を攻撃するのみでしたが、チャールズ・エグゼビアはこの能力を利用して空を飛ぶことを提案します。そしてムササビのようなコスチュームに身を包んだバンシーは、見事空を飛ぶことが出来るようになります。推進力を得るためにいちいち叫ばなくちゃならないのが玉にキズですが....(汗)。
劇中では同じく空を飛べるエンジェルと激しい空中戦を繰り広げます。
 
【エンジェル】
本名エンジェル・サルバドーレ、職業ストリッパー。
エンジェルといえば、シリーズ3にも登場しますが、今回登場するエンジェルはそれとは別物。3のエンジェルは鳥の翼を持つミュータントでしたが、今作のエンジェルは昆虫系(トンボ!?)の羽根を持つミュータントです。しかも通常時は羽根を体内に収納することが出来る優れもの(収納すると羽根はタトゥ状になる....おしゃれだ!)。更に口から強烈な酸を吐き出すという、もはやミュータントというよりはエイリアンのような彼女(^皿^)。元々チャールズとエリックによってスカウトされた彼女でしたが、元来の人間不信がたたり、途中でセバスチャン・ショウに寝返ってしまいます。
そんなエンジェル、羽根が身体から出てくるところなどはなかなか妖艶でセクシー。
....が、いざ飛ぶ場面になるとブビビビビ!と、まるでハエのようで、妖精的なかっこ良さは皆無なのでありました。殺虫剤とかが効きそうですネ(^皿^)。
演じるは、ゾーイ・クラヴィッツ。
歌手レニー・クラヴィッツの娘さんなのだそうです....Dig in!。
 
【ハボック】
本名アレックス・サマーズ。
胸部から破壊光線を出すことが出来る、マジンガーZ的なミュータントです。
破壊光線?、サマーズ?....と聞いてピン!ときたアナタは、もうX-MEN通。
原作ではこのアレック・サマーズ、X-MENリーダーのサイクロップスことスコット・サマーズの弟なのであります。劇中では特にサイクロップスとの関連づけはありませんが、同じ赤色の破壊光線がファンにはたまりません。
演じるは、ルーカス・ティル。小生意気そうな顔立ちが女性の母性本能をくすぐりますね。
....って、オイラは女性じゃないからよくわからないけど。
さてハボックですが、サイクロップスと同じでそのままだと破壊光線を正確に発射することが出来ません。そこでビーストことハンク・マッコイが開発した装置を装着することになります。円盤状のプレートを胸に装着して、そこからビームを発射することで正確さがアップします。その姿は正にマジンガーZ!、攻撃のたびに「ブレストファイヤー!」っていちいち叫びたくなりますね♪。
 
【アザゼル】
本名不明。
全身を覆う赤い皮膚、伸びた爪、そして矢印型しっぽと、一般人がイメージする悪魔の姿そのまんまのビジュアルがなんともかっこいいアザゼル。セバスチャン・ショウに仕えるミュータントです。アザゼルの能力は瞬間移動能力。自身の移動はもちろん、手をつないだ相手をも一緒にテレポートさせることが出来ます。
演じるは、ジェイソン・フレミング。
悪魔の容姿で瞬間移動といえば、2でアラン・カミングが演じたナイトクローラーが思い出されますが、それもそのはずこのアザゼルとナイトクローラー、原作では親子だとのこと。赤い皮膚の父親から青い皮膚の息子が生まれるのも、なんだか凄いですね(^皿^)。
さてアザゼル、その魅力は瞬間移動だけではありません。格闘技術にも長けています。
クライマックスでは、トンファー(T字型警棒)に刃物が付いたような武器で、バッタバッタと相手を切り刻んでいきます。その姿は文字通り“悪鬼”です。
今作でオイラのお気に入りNo.1のミュータントです!(^皿^)。
 
【リップタイド】
本名ヤノーシュ・クエステッド。スパニッシュ系のイケメンミュータント。
アザゼルと同じく、セバスチャン・ショウに仕えるミュータントです。
そのミュータント能力は、大気を操り風を起こす事が出来る能力。
手のひらに乗る小さなつむじ風から、海上をうねる大きな竜巻まで、風を操るスペシャリスト。シリーズレギュラーのストームと似た能力ですが、ストームが天候全般を操るのに比べ、リップタイドは単に風を巻き起こすことのみが出来る能力のようです。
演じるは、アレックス・ゴンザレス。台詞はほとんどないキャラクターですが、そのクールなイケメンっぷりに腐女子はメロメロのはず(^皿^)♪。
 
【ダーウィン】
本名アルマンド・ムニョス。今作で唯一の死にキャラミュータントです(涙)。
そのミュータント能力は、環境適応能力。例えば、水中ならばえら呼吸が出来るようになるし、暗闇ならば暗視能力が使えるようになる。劇中では説明がなかったけど、おそらく推察するに、もの凄く気温が高い場所だろうが、逆にもの凄い寒冷地であろうが、その環境に適した生命維持能力を手にする事が出来るミュータントなのだろう。劇中では自身の身体を甲羅状に変化させたりしていた。
演じるは、エディ・ガテギ。大きな目が印象的な黒人俳優さん。
実はオイラのお気に入りミュータントだったのだけれど、残念ながらセバスチャン・ショウの手によって哀れ殺されてしまうのでありました。くっそー、セバスチャン・ショウめ、ダーウィンの仇はオイラが打つ!(打てないって)。
 
 

それにしても、本編で一番嬉しかったのはウルヴァリンことヒュー・ジャックマンがカメオ出演していたこと。世界中にちらばる様々なミュータントをスカウトするチャールズとエリック。とある酒場のカウンターで葉巻をふかすひとりの男に近づき声をかけようとしますが....
「ひっこんでろ!」(日本語吹き替え版台詞より)
と、一喝され、そのまま無言でUターンするチャールズとエリック(笑)。
その男こそ、誰あろうウルヴァリンなのでありました。
たったこのワンシーンのために出演してくれたヒュー・ジャックマンに感謝!。
そして同じく声を担当した山路和弘さんにも感謝!です(^皿^)。
余談ですが、前シリーズでミスティークを演じたレベッカ・ローミン・ステイモスもちらっとカメオ出演しています。どこに出てるかは、映画を見てのお楽しみです。
 
「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」は、只今絶賛公開中です。
シリーズを見ている方も、そうでない方も、とにかく急いで劇場へGOです!(^皿^)。
   
 
      
      アザゼル、アザゼラー、アザゼリスト(アザゼルの3段活用)
      アザゼル.jpg
      オイラも瞬間移動能力が欲しいな〜♪(^U^)
   

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「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」に登場する、各ミュータントについての覚え書き〜その1 [映画鑑賞]

「キック・アス」のマシュー・ボーン監督が、なかなか手堅い演出で見事にまとめあげた「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」。作品に関する感想は前記事で述べましたが、今回は前記事では語り尽くせなかった各ミュータントについてのオイラの感想なんぞを述べたいと思います。
かなりマニアックな話になりますが、お暇な方は是非お付き合いを♪(^皿^)。
 
【 プロフェッサーX 】
今作の主人公で、本名はチャールズ・エグゼビア。
若き日のプロフェッサーXを演じるは、ジェームズ・マカヴォイです。
前シリーズでパトリック・スチュアートが演じたプロフェッサーXは、その見た目通りまるで“悟りを開いたお坊さん”のような存在で、正直人間的魅力に溢れてるとは言い難い人物でした。
(もちろん、それはそれで渋くてかっこよかったのでありますが....)
でも今作のプロフェッサーXことチャールズ・エグゼビアは青春真っ只中であり(学生らしくナンパもするぜ!)、より親近感の持てる若者として描かれています。当然髪の毛はフサフサだし、身体的にも五体満足で当然車椅子は無しです。で、今回のエピソードに於いて「なぜ車椅子を使用することになってしまったのか?」その事の顛末が描かれます。まあ、いきさつ自体はともかく、気になったのはエンディングでチャールズが乗ってる車椅子のデザイン。妙にハイカラでモダンなデザインが当時の時代にはなんだかマッチしてなくて浮いてたのが残念でした。あそこはもっとクラシックで普通のデザインの方が、より時代性を表現していて良かったと感じました。
 
【 マグニートー 】
本名はエリック・レーンシャー....後に磁力王マグニートーとなる男です。
マイケル・ファスベンダーが、この復讐に燃える男を品良く、力強く演じています。
磁力を操るマグニートーは、その力を使って空も飛べちゃいます....凄いッ!(^皿^)/。
今回のエピソードのクライマックスで遂にエリック・レーンシャーからマグニートーとして生きる事を誓うエリック。だけど、いきなりマント姿で登場!っていうのが、いささか唐突すぎて拍子抜け。それまで渋いかっこ良さが売り(タートルネック姿が最高!)だったエリックが、マグニートーになった途端、急にコミック調(赤スーツにマント!)の姿になったのには、ちょっとビックリ!でした(^皿^;)。
 
【 セバスチャン・ショウ 】
今作の悪役(ラスボス)。演じるは、やっぱり悪役が似合う男ケヴィン・ベーコン。
セバスチャン・ショウのミュータント能力は、自身に受けたエネルギーを一旦体内に吸収し、それを改めて発動させる事が出来る能力。例えば、目の前で爆弾が爆発してもその爆発エネルギーを一旦吸収して、それを相手に対して発動させることが出来るのだ。正に完全無欠の能力。しかもこの能力を使って肉体的若さをも保っているという設定。理屈はよくわからないけど、そういう設定なのだから仕方がない。
最初にこの能力を聞いた時「ああ、これは風船破裂でやられるパターンだな」と推測したのですよ。つまり大量のエネルギーを吸収したまでは良かったけど、なんらかの理由で溜め込んだエネルギーを放出することが出来ず、結果的にエネルギーが暴発して自滅するというやられパターン。だけど、意外にもセバスチャン・ショウの最期は地味....地味ィ〜に殺られます。止まった演技をしているケヴィン・ベーコンの姿がとっても切ないです....(^皿^)。
  
【 ミスティーク 】
本名はレイブン・ダークホルム。戦災孤児である彼女は、食料を求めてチャールズ・エグゼビアの屋敷へと侵入し、そこでチャールズと運命的な出会いを果たします。幼いミスティークがとっても可愛いです♪。
そして大人へと成長したレイブンを演じるのは、ジェニファー・ローレンス。
ややぽっちゃりとしたその容姿が魅力的なジェニファー・ローレンス。個人的にはぽっちゃり大好きですが(聞いてないって!)、前シリーズでミスティークを演じたレベッカ・ローミンのスレンダーでシャープなイメージが強いせいか、ミスティーク=女豹の感じはやや控えめでした。
ちょっと残念だったのは、来たるべき戦いに備えてX-MENチームが各自トレーニングをする場面。レイブンはなぜか筋トレをしてるんだけど「そうじゃない!」って思わずスクリーンにツッコミを入れました。ミスティークの魅力は変身能力もそうだけど、しなやかに戦う体術にあるのです。一作目でウルヴァリンと互角の戦いをしたように、ミスティークはマーシャル・アーツに優れたミュータントなのです。だからトレーニング場面では筋トレじゃなく、組み手をやってなきゃダメなんです!。エリックと組み手をやりながら、徐々にエリックに傾倒していく....そんな展開の方がロマンティックだったと思います。
ただ、レイブンがミュータントとして揺れ動く心の葛藤をジェニファー・ローレンスは見事に好演していて、その点だけは非常に良かったですね。それがしっかりしていたからこそ、ドラマとして非常に見応えのあるものになっていたのですから。
ジェニファー・ローレンス、これから要注目の若手女優ですね(^皿^)。
 
ところで、ミスティークに関してちょっと変なシーンがあったことを追記しておきます。
クライマックスのバトル場面でのこと、アザゼルを欺くため、セバスチャン・ショウへと変身するミスティーク。ミスティークはそもそも裸でいるからこそ、いろんな人物に変身出来る訳ですが、この場面ではX-MENのスーツを着たまま、セバスチャン・ショウへと変身していました。これは、明らかに映像として間違ってる....残念ッ!。
 
【 エマ・フロスト 】
悪役セバスチャン・ショウに仕える美人アシスタント。
演じるは、露出度の高い衣装がなんとも嬉しいジャニュアリー・ジョーンズ。
エマ・フロストのミュータント能力は、プロフェッサーXと同じテレパシー能力。更に身体をダイヤモンド状に変化させることが出来る。これによって同じような能力を持つプロフェッサーXから操られないように防御することが出来るのだ。
身体を金属に変化させる能力と言えば、シリーズ2、3に登場したコロッサスが思い浮かびますが、エマ・フロストの能力はそのコロッサスとは微妙に違います。先に「身体をダイヤモンドに」じゃなく「身体をダイヤモンドに」と書いたのはそのためです。早い話、エマ・フロストの能力は“金属メッキ”なのです。その証拠にチャールズとエリックの急襲を受け捕まったエマは、エリックの拷問を受けますが、防御のためダイヤモンド状にコーティングした表皮は、割と簡単にひび割れします。
...うーん、彼女のダイヤモンドは、安物のイミテーションだった訳ですね。
こりゃ絶対メイド・イン・チャイナだな....トホホ(^3^;)。
 
【 ビースト 】
優秀な科学者で、本名はハンク・マッコイ。
演じるは、サイクロップス似のニコラス・ホルトです。
ビーストはシリーズ3でも登場しますが、今作のビーストはまだ野獣の姿に変身する前の姿、ハンク・マッコイとして登場します。一見すると普通の人間ですが、すでに野獣の兆しが足に現れ始めています。そんなハンクはミスティークの遺伝子を使って開発した新薬で自身のミュータント的容姿を普通に戻そうとしますが、残念ながら投薬は失敗、逆に容姿の野獣化が進行、文字通り“ビースト”となってしまいます。
で、その容姿なんですが.....正直個人的にはちょっとがっかりでした。
オイラは3でケルシー・グラマーが演じたビーストの容姿が大好きだった訳ですが、今作のビーストはなんていうかまんま猫みたいでそれがちょっと微妙でした。もちろん特殊メーキャップとしてはすごくよく出来ていましたが、なんだか劇団四季のキャッツを見てるみたいで....(^ω^;)。
あと、これもトレーニング場面での出来事なんですが....。
ハンク・マッコイとチャールズ・エグゼビアが徒競走をする場面があるんですが、ここでのハンクの描き方が違うなあと感じました。ハンクの身体的能力の凄さを表現するため、もの凄い早さで駆け抜ける姿が描かれますが、そうじゃないでしょ?と感じた訳です。むしろあそこで描くべき姿はハンクの野獣性であり、あの場面ではハンクを四つん這いで走らせなきゃダメなんです!。よーいドン!でスタートして一旦はチャールズが先行するものの、2足走行から四つん這い走行になった途端もの凄いスピードになる....そう描く事で、ハンクの野獣性&身体的能力の高さ、その両方を表現出来たのにと悔やまれた場面でした。
 
 
.....おっと、長くなってきたので、残念ながら今回はここまで。
残りのメンバーは、次回パート2にて!(^皿^)。


    「君の考えていることが、手に取るようにわかるよ」
     チャールズ・エグゼビア.jpg
     テレパスを使う時は、常に手をそえて(^皿^)     

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