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立ち上がれ、何度でも!〜「リアル・スティール」を鑑賞する [映画鑑賞]

H・ジャックマンの新作映画「リアル・スティール」を見てきました。
見るまで知らなかったんですが、この作品、S・スピルバーグとR・ゼメキスがプロデュースしてた作品だったんですね。オイラ的には“ロボット同士が戦うボクシング映画”という認識しかなかったのですが、どうやらそこに“父と息子の感動物語”が盛り込まれているらしいです(^皿^)。
 
『リアル・スティール』(原題:REAL STEEL )
 監督:ショーン・レヴィ
 音楽:ダニー・エルフマン
 出演:ヒュー・ジャックマン
    ダコタ・ゴヨ
    エヴァンジェリン・リリー
    アンソニー・マッキー
    ケヴィン・デュランド
    ジェームズ・レブホーン
    ホープ・デイヴィス
    オルガ・フォンダ
    カール・ユーン
    他
【あらすじ】
元ボクサーのチャーリー・ケントン(ヒュー・ジャックマン)は、ロボットボクシングのプレイヤーとして日銭を稼ぐ日々を送っていた。だが、借金まみれの荒れた生活にかつてのような夢や希望はなかった。そんなある日のこと、以前つき合っていた恋人の訃報が届く。そして彼女との間に出来た息子マックス(ダコタ・ゴヨ)が現れる。今更子供の面倒をみるつもりもないチャーリーは、マックスを引き取って面倒をみたいという叔母夫婦に、親権を譲り渡すかわりに金銭を要求する。こうして大金を手に入れたチャーリーは、叔母夫婦が海外旅行に出ている2ヶ月間だけマックスの面倒をみることになる。チャーリーは手に入れた大金で早速新たなロボットを手に入れるのだが、それも地下試合で無惨にも破壊されてしまった。困ったチャーリーはロボットのパーツを盗もうとスクラップ工場へと侵入するのだが、そこで同行していた息子マックスは廃品同然のロボット“ATOM”を発見する....。
 
 
....うーむ、ちょっと期待外れだったかなあ(^皿^;)。
映画「リアル・スティール」は、人生のどん底にいる主人公が再起をかけて這い上がる物語であり、父と息子が親子の絆を取り戻す物語。前評判ではとても感動する物語と聞いていたのですが、オイラ的には琴線に触れる部分は少なかったです。その理由をいくつかピックアップしてみます。
 
【ボクサーとしての葛藤が少ない】
主人公チャーリーはボクサーだったけど、ロボットボクシングの台頭によりその職を失います。自身の職を奪った憎むべきロボットボクシングであるにも関わらず、ボクシングしか知らないチャーリーはロボットボクシングに関わることでしか生計を立てることが出来ません。或いは、例えロボットボクシングであったとしても、ボクシングに携わる仕事についていたいという思いがあったのかもしれません。そういった複雑な心理状況があまり描かれない点が、主人公というキャラクターとしてものすごく薄っぺらいものとなっていたような気がしました。
 
【父と息子との間で、母親のことが話題にならない不自然さ】
確かにこの映画は父と息子の交流が主軸の物語です。ロボットボクシングを通じて父と息子がお互いのわだかまりを徐々に解いていくという展開はそれなりに感動的なのですが、ただその過程で母親の話題が持ち上がらない点に、どうしても矛盾や違和感を感じてしまいました。
マックスと交流していく中でチャーリーの中に徐々に父性が目覚めていけば、当然ひとりで子育てしていたキャロラインのことについて思いを馳せるだろうし、マックスにしても「どうして父は自分を捨てて母は別れてしまったのか?」その理由が知りたいはずだと思います。そういうことを父と息子で語り合う場面を是非挿入して欲しかった。そうすれば親子のドラマとしてもっと厚みが出たのにと残念でなりませんでした。
 
【アトムの模倣機能には、まったく意味がない】
映画を見るまでは、それほど魅力を感じなかったロボットたち。だけど、実際に動く映像を見たらなかなかにかっこ良かったです。しかしながら、主人公アトムに関してはいろいろと思うところがありました。このテの映画のアラを探してツッコミを入れるのはヤボだということを重々承知で、それでも敢えてそのあたりを記したいと思います。
〈アトムの顔や手のデザインに関して〉
アトムは対スパーリング用のロボット。劇中でもそのことを理由にしてアトムの頑丈さが強調されています。それなのに、顔が網(あみ)ってのはおかしくないですか?。そこを一番頑丈に作らなくっちゃダメでしょう。それとアトムの手です。いわゆる人さし指がついているんだけど、ボクシングロボなのだから、指は必要ないだろうと思うわけです。例えば、ゼウスのようにショー用ロボなら、例え指があったとしてもそれはパフォーマンス用だと多少納得はいく訳です。でもアトムは単なる練習用ロボ。その手はいわゆるグーパンチの形をした鉄の固まりで充分だと思うのです。大体指関節みたいな繊細な部分があったら、そこから壊れちゃいますよ。アトムは対スパーリング用ロボだと謳いながら、その実デザインはその体(てい)を成していない訳です。
 
〈アトムの模倣機能には、まったく意味がない〉
アトムには目の前にある対象物の動きをそっくり真似をする模倣機能がついています。これがドラマの伏線となっていて、クライマックスでそのことが活かされます。確かにヒュー・ジャックマンの動きを真似しながら戦う場面は、感動的でした。でも、ちょっと冷静になって考えてみると、この設定も非常におかしいことに気付きます。なぜなら模倣機能というのが対スパーリング用ロボットの性能としては、実に意味のない機能だからです。自分の動きをそっくり真似するロボットを相手にスパーリングしても、練習になる訳がない。それは鏡に向かってシャドーボクシングをしてることと同じです。これが人間ならフォームの確認や修正といった意味もありますが、ロボットにはまったく必要のないものです。
そして、何よりも不可解なのはアトムが真似をする対象をどうやって認識しているのか?ということです。真似をする対象が近くにひとりしかいない状況ならまだしも、例えば試合会場のような不特性多数の人間がいるなかで、なぜアトムはゼウスの真似ではなく、ヒュー・ジャックマンの真似を出来たのでしょうか?。単なるスパーリング用ロボットなのにも関わらず、高度な認識機能を持っているとしか思えません。
つまるところ、アトムは対スパーリング用ロボット(しかも旧式)だといいながら、そのデザインや性能がそれと全然マッチしていないのです。これが単なる脇役ならだまって目をつぶることも出来ますが、アトムは主人公なので、つじつまの合わない設定は、やはりどうしても気になってしまいます。これが、ドラマの世界に没頭出来ない大きな要因のひとつとなってしまいました。
 
【ドラマとしての終わり方が良くない】
映画はアトムが最新型の高性能ロボット・ゼウスと善戦したものの、試合結果は負け。それでも、皆の顔は晴れやか!....みたいな感じで終わりを迎えます。試合の流れや終わり方が「ロッキー」まんまですが、それ自体は別にどうでもいいのです。オイラが感じたのは、「これが単なるロボットボクシングの物語ならそのエンディングでも全然問題ないけど、これが親子の絆の物語だとしたら、そこで終わっちゃダメだろう!」ということでした。
例えば、エンディングで母親の墓参りに行って懺悔するチャーリーというのもありだと思うし、マックスの将来を考えてやはり叔母夫婦に引き取ってもらう決断をするチャーリー、とか、そういった場面があっても良かったように思う。チャーリーが父親としての自覚に目覚めた故の行動というものを最後にきちんと見せることで、ドラマとしての厚みがもっと出たのに、と残念でなりません。
 
 
ショーン・レヴィの作品は「ナイト・ミュージアム」しか見たことがありませんが、その時にも感じたなんだかとっても“薄い”感じが、今作からも感じられました。コメディ映画だろうが、アクション映画だろうが、核となるドラマの部分を軽んじると、作品自体がとっても薄っぺらく軽いものになると感じた「リアル・スティール」でした。
 


Real Steel

Real Steel

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: Varese Sarabande
  • 発売日: 2011/11/01
  • メディア: CD

ダニー・エルフマン大好きなんだけど、今作はなんか今イチでした
  
  
      「その名前、日本では使えませんよ」
      アトムとアトム.jpg
  
  
ところで、アトムVSゼウス戦を見ていて感じたこと。
試合展開が「ロッキー」まんまなのは先述した通りですが、
それとは別にこうも感じました....
 
「これって、キン肉マンVSウォーズマン戦と同じ展開じゃないか!」
 
ひょっとして、ショーン・レヴィ監督は「キン肉マン」をパクったのかな!?(^皿^)
というのも、そう感じずにはいられない事例が他にもあったからです。
ロボットボクシング会場の外に飾ってあった巨大モニュメント。これがもう、「機動戦士ガンダム」のフォルムそのまんまだったのです。パクリ王国の中国もびっくりのパクリ具合に、オイラは苦笑するしかありませんでした。好意的に見れば日本に対するオマージュだとも受け取れますが、とりあえずショーン・レヴィ監督は、大河原邦夫先生に謝っといた方がいいと思うぞ!(^皿^)/。
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oto

リアルスティール
最近映画館の居心地、椅子の座り心地のよさに
しばしば眠ってしまうワタシですが、リアルスティールは
なんとか起きて全部観られた映画でした。
満足して帰ったのですが、ヨッシーさんの記事を読んで
たしかに母親の描写、親子の話がもう少ししっかり描いていたら
良かっただろうなあと思いました。
2011年のランキング記事で残念に入れていらしたので
嫌いなのかなあと思いましたが、じつは嫌いじゃなく、
まさに残念に思うほどの映画だったんではないでしょうか。
映画はやっぱり観た後に人と語るのが面白い。そう思うレビューでした。
偉そうな文章になってすみません。とても面白かったです。
by oto (2012-02-13 13:50) 

堀越ヨッシー

otoさん、はじめまして。
ご訪問&コメント、ありがとうございます。
ロボットのヴィジュアルに関しては好印象を持ちました(ゼウスのフィギュア欲しくなりましたし....苦笑)が、いかんせん物語が今イチで、そちらの方にフラストレーションが溜まった次第です。
 
クライマックスの試合に関しても、もう少し違う展開を期待していたんですよね。ヒュー・ジャックマンがかつてのチャンプ(モハメド・アリとか)の真似をして戦い、そのあまりにも人間的動きにゼウスの人工知能が戸惑って結果負ける...みたいな(^皿^)。
ヒュー・ジャックマンの変わらないかっこ良さだけが目立った「リアル・スティール」でした。
by 堀越ヨッシー (2012-02-14 22:54) 

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