意外といいんじゃない?〜「モールス」を鑑賞する [映画鑑賞]
昨年、日本でも劇場公開されたスウェーデンのホラー映画「ぼくのエリ〜200歳の少女」。
今作「モールス」は、そのハリウッドリメイク作品です。
オイラは雑誌「映画秘宝」に掲載されていた「ぼくエリ」のスチール写真にひと目惚れし、昨年劇場まで勇んで観に行った訳ですが、残念ながら作品に関しては“ものすごくハマった!”とまではいきませんでした。なので、このハリウッドリメイク作品についてもそれほど積極的ではなかったのですが....
主演がクロエ・グレース・モレッツと聞いては、見ない訳にはいきません!。
彼女の出世作「キック・アス」を劇場まで見に行けなかったオイラは、そのお詫びも込めて今作「モールス」を劇場まで見に行くことにしたのでありました(^皿^)。
「モールス」(原題:LET ME IN)116分 カラー
監督:マット・リーヴス
音楽:マイケル・ジアッキーノ
出演:クロエ・グレース・モレッツ
コディ・スミット=マクフィー
リチャード・ジェンキンス
イライアス・コティーズ
他
【あらすじ】
時は80年代。ニューメキシコ州にある、雪に閉ざされた町。
オーウェンは12歳の少年。両親は離婚協議中のため、今は母親との2人暮らしである。学校では同じクラスの同級生らにいじめにあう毎日....オーウェンはとても孤独な日々を送っていた。そんな彼の趣味は、同じ共同住宅の住人たちの生活を望遠鏡で覗き見することだった。
ある日のこと、オーウェンの住む共同住宅にひと組の父娘(おやこ)が引っ越してきた。女の子の名前はアビー。冬だというのに裸足でいる彼女に好奇心をおぼえたオーウェンは、やがて同世代の彼女と親しくなっていく。
一方、時期を同じくして、オーウェンの住む町では猟奇的な殺人事件が頻繁し始めていた....
リチャード・ジェンキンスとか、イライアス・コティーズとか、実にいい顔をしたおっさん俳優が大活躍してますよっと♪(あと体育教師役の役者さんとか)。
映画を見る前からこの作品に対する期待値が低かったからでしょうか?、見終わった時の率直な感想は「そんなに悪くないぞ」というものでした。いや、もちろん問題点や不満点はたくさんあるのです。ただそれよりも、オリジナル版である「ぼくエリ」よりも良かった点が結構あって、そっちの方が個人的には際立ってしまったのです。
まずはそのあたりについてちょっと触れてみましょうか。
(今回も、記事長いよ!)
【少年オーウェンがいい!】
主人公であるオーウェンを演じたコディ・スミス=マクフィー君の容姿が、いかにもいじめられっ子的容姿であり、そこが良かった!。
主人公がいじめられっ子であるというのは、この物語にとっては非常に重要な構成のひとつなので、やはりビジュアルは重要です。オリジナル版の「ぼくエリ」ではこの要素が非常に弱かった。「ぼくエリ」でオスカルを演じたカーレ・ヘーデブラント君はそれなりの雰囲気は出ていましたが、なにより金髪の美少年であり、いじめられっ子のイメージとはほど遠い容姿でした(むしろ、どちらかというといじめっ子キャラの方がしっくりくる外見)。
一方、今作「モールス」でのオーウェン少年は、華奢で動きもナヨナヨしており、目つきも悪い。正にいじめられっ子そのものの風情が満載です。もちろん原作の主人公とは若干イメージは違うのですが、いじめられっ子という点においては、容姿や佇まいが正に100パーセントだったと言えるキャスティングでした。
【いじめをちゃんと描いているところがいい!】
上記にも関することですが、今作「モールス」では主人公オーウェンの辛い日常がきちんと描かれているところに、とても好感が持てました。「ぼくエリ」ではいじめの場面が少なく、そのためオスカルの孤独感が今イチ伝わりづらい構成になっていたのですが、今作「モールス」ではオーウェンが頻繁にいじめられる場面が出てきます。ちゃんとおもらしする場面も描かれています。いじめの場面は見ていて楽しいものではありませんが、それでもこの物語に於いてはとても重要な要素のひとつです。それをきちんと描いたマット・リーヴス監督に「なかなかやるじゃん!」そう思わずにはいられませんでした。
【ヴァンパイア化した時のアビーが、いい!】
今作「モールス」も「ぼくエリ」と同じく、アビー(エリ)がヴァンパイア化した際、その容姿が極端に変わることはありません。ただし、このハリウッド版はビジュアル的になかなか面白いものを見せてくれます。オーウェンがエリに対して「血の交わりを結ぼう」と自らの指を傷つけ血を見せると、アビーはヴァンパイアとしての本性をむき出しにします。血液を目の前にして、アビーは目の色が文字通り変化し、歯をむき出しにします(残念ながらドラキュラ的な牙は無し)。面白いのは、その時の肌の変化。まるでにきびや皮膚病のようなものが肌に浮き出てくるのです。それが結構斬新な映像となっていて、見応えがありました。プログラムにも触れてありましたが、マット・リーヴス監督は思春期特有の身体的悩みを象徴して見せたんだとか。なかなかユニークな視点であります。
【実に正しい採血方法!】
「ぼくエリ」の冒頭でホーカン(今作でいうところの“父親”)がエリのために殺人を犯す場面があります。が、この場面が実に間抜けなシーンとなっていて、公開当時オイラは映画を見ながら「お前はバカか?」とスクリーンに向かってツッコミを入れまくっていたのです。というのも、ホーカンが月明かりがこうこうと照らされた明るい場所で殺人(血を抜く作業)をしていたからです。「そんな明るい場所で犯罪をやってたらみんなにバレますよー」と心配していたら、案の定通りがかりの人に現場を目撃されてしまうホーカン。長年エリのために“採血”してきたとは思えないホーカンの無能ぶりに、オイラはあきれてしまった訳です(裏読みすれば、ホーカンの採血方法が段々雑になってきているとも受け取れますが、残念ながらオイラはそこまで寛大じゃないぞ!)。
で、同じシーンが当然「モールス」にもあった訳ですが、今作では同じ林の中でもちゃんと薄暗い場所を選んで“採血”をしています。実に正しい殺害方法です。首をちゃんと刺す場面があるのもいい(こういう場面をごまかして撮っちゃダメ!)。オイラが「ぼくエリ」を見てギャフンときた場面を、正しい映像に修正してくれたマット・リーヴスにはグッジョブ!と言わざるを得ません。
【キラリと光る、マット・リーヴスの演出!】
その殺人に関して、マット・リーヴスは、なかなかの演出を見せてくれます。
今作「モールス」でアビーの“父親”は、採血のための標的を車の運転をしている人間を選びます。標的とする人物がいったん車を離れると、その隙に車内のバックシートへと潜り込み、拉致の機会をじっと待ちます。やがて人気のない場所(今作では踏切)まで車がくると、ゆっくりと身体を起こし、標的を襲うのです(因みに、この時点では殺しません。眠らせるだけです)。この一連のシーンが実に緊張感に包まれており、見応え充分。正にホラー映画のあるべき正しい姿です。また、その後同じ方法で拉致しようとして失敗する場面がありますが、その模様を車内に設置したカメラでワンカットで見せる映像など、なかなかユニークな映像もあり、その才能を垣間見せるマット・リーヴス監督には、なかなかなものを感じました。
.....とこのように、今作「モールス」はオリジナル版「ぼくエリ」よりも優れた点がいくつもあって、それが個人的にはキラリと光って見えました。だからこそ、逆に残念だった部分もより際立ってしまいました。今度はそのあたりについて感じたことをいくつか。
【なぜ、コピー映像が満載なのか?】
リメイクだからと言って、その画作りまでそっくり真似する必要はないでしょう。
むしろ映像作家であれば、リメイク作品を作る際、オリジナル映像とは違うビジュアルを模索するのが普通だと思います。例え同じ場面であったとしても、「お前がそう撮るなら、俺はこう撮るぜ!」みたいなそういう思考が映画監督としては正しいと思うのですが、マット・リーヴス監督はなぜかオリジナル映像をそのままコピーしたとしか思えない映像を撮りまくっています。アビーの父親が病院から墜落する場面、アビーが通行人を襲う場面、衝撃のクライマックス場面など、とにかくオリジナル映像をそのまんま模倣したとしか思えない映像だらけで、逆にそのことにちょっと驚いてしまいました。そしてなぜここまで徹底して映像をコピーしたのか?が理解出来ませんでした。先に述べたように要所要所では冴える演出を見せてくれたマット・リーヴス監督。出来ることならオリジナル版とはひとつも同じような映像は作らないぜ!ぐらいの意気込みで、今作を撮って欲しかったです。
【これが特殊メーキャップの限界なのか?....否!】
アビーの“父親”がもしもの時のために用意していたもの....それは硫酸。警察に捕まっても身元が判明しないようにと硫酸を顔に浴びせかけるためのものです。そして遂にその時がやってきます。父親は硫酸を浴び、その顔が焼けただれてしまいます。オリジナル版「ぼくエリ」では、その特殊メーキャップの出来が今ひとつだったため、ホラー映画ファンとしては今作にハリウッド的凄腕メイクを期待していたのですが、今作でも残念ながらその出来は今ひとつでした。確かに「ぼくエリ」と比べればそのクオリティは優れていましたが、オイラ的にはもっと出来るんじゃない?という思いの方が強かったです。
昨今は皆デジタルCGに頼りすぎていて、特殊メーキャップ業界も人材が不足しているのかな?とちょっと心配になったオイラです。オイラはリック・ベイカーやロブ・ボッティン全盛期をリアルタイムで体験してきた世代なので、特殊メーキャップの持つパワーを信じています。「ダークナイト」のトゥーフェイスに代表されるように、最近では特殊メイクもデジタルCGの恩恵を受けることが多くなりましたが、それでもオイラはアナログな特殊メーキャップの持つ凄さを知っています。そんな意気込みを感じさせるような特殊メーキャップを見せて欲しかった!。
【マンガちっくな、CGアニメーション】
アビーが人を襲う場面で、その挙動の凄さを見せるためにモーション(動き)をCGモデルに置き換えて見せているのですが、それがいかにもマンガ的で残念な画となっていました。例えば、「スパイダーマン」のように、ライブアクションでは不可能なアクションシーンに、CGモデルを使用することはよくあります。オイラはアクション場面にCGモデルを使用するその映像自体は別に嫌いな訳ではありませんが、この作品に於いてはそこだけが妙に浮いていて、違和感大でした。別にライブアクションだけでもそれなりに迫力ある映像は撮れただろうに、なんだか安易にCGモデルに頼ってしまった感は否めませんでした。
【いわゆる“ボク”問題について】
このリメイク作品に於いて、最も問題だと思われる点は、アビーのいわゆる“ボク”問題についてです。「ぼくエリ」をご覧になった方ならもうおわかりのように、女の子だと思われていたエリは実はかつては男の子であり、それが去勢されて今のような姿で何百年も過ごしてきた(意識的になのか?はたまた無意識になのか、エリは少女という側面を利用して生きてきた)という驚愕の事実があるのです。「ぼくエリ」ではエリが着替える際にそこを覗いたオスカルがそのことに気付く場面があるのですが、なんとマット・リーヴス監督はその場面を丸々削除しているのです!。「ぼくエリ」ファンからは「そこは一番カットしちゃいけないところだろう!」との声が聞こえてきそうですが、実をいうとオイラ的にはそれほど気にはなりませんでした。
プログラムで柳下毅一郎さんも触れられているように、この作品は完全にオーウェンの思春期物語として描かれており、その視点からするとアビーはオーウェンが恋する異性の対象である必要があり、かつてアビーが男の子だったという情報はそんなに重要なことではありません。マット・リーヴス監督もその点について「作品の軸がぶれるから、そこは敢えてカットしたんだ。あとは見る人が自由に判断してくれればいいよ」というスタンスで、その潔さに逆に感動すら覚えてしまいました。
よく原作物が映画化された際、「原作と違う!」と怒る人がいますが、オイラは元々原作とそれを元にした映画はまったくの別物だと思っています。だから、今作「モールス」でマット・リーヴス監督がアビーがかつて男の子だったという、原作において最も衝撃的な部分をばっさりカットした英断には、逆に拍手をおくりたい気分です。自身が映画化した際、物語で何を一番伝えたいのか?、その主旨はすごく明確な作品でした。それ故に、オリジナル版のコピー映像が満載な点に関してはすごく残念でした。ひょっとしたら、リメイク化に際して、オリジナル作品と同じような映像をいくつか挿入するように、そんな制約でもあったのかな?と逆に勘ぐってしまいました。
そんなコピー映像だった、いわゆる衝撃のクライマックスについてもひと言だけ。
オーウェンがプールでトレーニングを受けていると、いじめっ子達が登場。オーウェンはそこで無理矢理水中に沈められるといういじめを受けます。そこにアビーが登場、いじめっ子たちを虐殺していきます。プールに沈められているオーウェンには最初何が起こっているのかがわかりませんが、水中にいじめっ子たちの肉片(頭部とか)が沈んでくるのを見て、初めてプールサイドで何が起こっているのかを理解します。そして、オーウェンがプールサイドにあがると、そこにアビーが佇んでいるのです。
これは「ぼくエリ」とまったく同じ展開であり、「ぼくエリ」を見た時にも感じたことなのだけど、少年たちをアビー(エリ)が虐殺する場面をオーウェン(オスカル)に見せないというのは、卑怯だと思うんですよね。アビー(エリ)が持つヴァンパイアとしての残虐さ、残酷さをオーウェン(オスカル)見た上で、それでもなおアビーについていく決心をしたというのなら、彼の決心みたいなものを感じられてエンディングの余韻もまた違ったものになったのでしょうが、残念ながらエンディングのオーウェンは実にのんきです(鼻歌とか歌ってるし)。なんだかプチ家出を楽しんでる少年のようにも見えました。まあ考えてみれば、この先オーウェンには地獄のような生活が待っている訳で、そんなことも知らず、のんきに鼻歌なんかを歌ってるオーウェンの姿が、かえって切なくもあるんですけどね。
今作「モールス」は、「ぼくのエリ〜200歳の少女」のリメイク作品であります。
一見すると同じような作品ですが、実は微妙に違う作品でもありました。
想像していたよりも楽しめたし、マット・リーヴス監督の次回作にもちょっと注目してみたくなった「モールス」でありました(^皿^)。
「....あー、使えない男って、大嫌いッ!」
マイケル・ジアッキーノは、ほんといい仕事するよなあ。
「カーズ2」での仕事ぶりも気になります(^皿^)。
さて、この「モールス」。
オイラが行った劇場は、新宿にあるシネマスクウェアとうきゅうという映画館。
最近は、やれピカデリーだバルトだと、シネコンばかりに行ってたので、このテの映画館はほんと久しぶり。何より、自由席っていうのが昭和を感じさせていいよね!(^皿^)。
このシネマスクウェアとうきゅうという映画館、スクリーンは小さいけど、何気にシートが広く、座り心地が良いのがポイント高し。こういう老舗の映画館には頑張って続けて欲しいと思うけど、近くを見渡したら近隣の映画館が軒並み閉館になってて、ちょっと切なくなりました。新宿コマ劇場跡にもシネコンが出来るらしいから、このテの古い映画館は経営的にも苦しくなっていくんだろうけど、なんとか頑張って欲しいなあ。
....ってか、頑張れ!シネマスクウェアとうきゅう!
今作「モールス」は、そのハリウッドリメイク作品です。
オイラは雑誌「映画秘宝」に掲載されていた「ぼくエリ」のスチール写真にひと目惚れし、昨年劇場まで勇んで観に行った訳ですが、残念ながら作品に関しては“ものすごくハマった!”とまではいきませんでした。なので、このハリウッドリメイク作品についてもそれほど積極的ではなかったのですが....
主演がクロエ・グレース・モレッツと聞いては、見ない訳にはいきません!。
彼女の出世作「キック・アス」を劇場まで見に行けなかったオイラは、そのお詫びも込めて今作「モールス」を劇場まで見に行くことにしたのでありました(^皿^)。
「モールス」(原題:LET ME IN)116分 カラー
監督:マット・リーヴス
音楽:マイケル・ジアッキーノ
出演:クロエ・グレース・モレッツ
コディ・スミット=マクフィー
リチャード・ジェンキンス
イライアス・コティーズ
他
【あらすじ】
時は80年代。ニューメキシコ州にある、雪に閉ざされた町。
オーウェンは12歳の少年。両親は離婚協議中のため、今は母親との2人暮らしである。学校では同じクラスの同級生らにいじめにあう毎日....オーウェンはとても孤独な日々を送っていた。そんな彼の趣味は、同じ共同住宅の住人たちの生活を望遠鏡で覗き見することだった。
ある日のこと、オーウェンの住む共同住宅にひと組の父娘(おやこ)が引っ越してきた。女の子の名前はアビー。冬だというのに裸足でいる彼女に好奇心をおぼえたオーウェンは、やがて同世代の彼女と親しくなっていく。
一方、時期を同じくして、オーウェンの住む町では猟奇的な殺人事件が頻繁し始めていた....
リチャード・ジェンキンスとか、イライアス・コティーズとか、実にいい顔をしたおっさん俳優が大活躍してますよっと♪(あと体育教師役の役者さんとか)。
映画を見る前からこの作品に対する期待値が低かったからでしょうか?、見終わった時の率直な感想は「そんなに悪くないぞ」というものでした。いや、もちろん問題点や不満点はたくさんあるのです。ただそれよりも、オリジナル版である「ぼくエリ」よりも良かった点が結構あって、そっちの方が個人的には際立ってしまったのです。
まずはそのあたりについてちょっと触れてみましょうか。
(今回も、記事長いよ!)
【少年オーウェンがいい!】
主人公であるオーウェンを演じたコディ・スミス=マクフィー君の容姿が、いかにもいじめられっ子的容姿であり、そこが良かった!。
主人公がいじめられっ子であるというのは、この物語にとっては非常に重要な構成のひとつなので、やはりビジュアルは重要です。オリジナル版の「ぼくエリ」ではこの要素が非常に弱かった。「ぼくエリ」でオスカルを演じたカーレ・ヘーデブラント君はそれなりの雰囲気は出ていましたが、なにより金髪の美少年であり、いじめられっ子のイメージとはほど遠い容姿でした(むしろ、どちらかというといじめっ子キャラの方がしっくりくる外見)。
一方、今作「モールス」でのオーウェン少年は、華奢で動きもナヨナヨしており、目つきも悪い。正にいじめられっ子そのものの風情が満載です。もちろん原作の主人公とは若干イメージは違うのですが、いじめられっ子という点においては、容姿や佇まいが正に100パーセントだったと言えるキャスティングでした。
【いじめをちゃんと描いているところがいい!】
上記にも関することですが、今作「モールス」では主人公オーウェンの辛い日常がきちんと描かれているところに、とても好感が持てました。「ぼくエリ」ではいじめの場面が少なく、そのためオスカルの孤独感が今イチ伝わりづらい構成になっていたのですが、今作「モールス」ではオーウェンが頻繁にいじめられる場面が出てきます。ちゃんとおもらしする場面も描かれています。いじめの場面は見ていて楽しいものではありませんが、それでもこの物語に於いてはとても重要な要素のひとつです。それをきちんと描いたマット・リーヴス監督に「なかなかやるじゃん!」そう思わずにはいられませんでした。
【ヴァンパイア化した時のアビーが、いい!】
今作「モールス」も「ぼくエリ」と同じく、アビー(エリ)がヴァンパイア化した際、その容姿が極端に変わることはありません。ただし、このハリウッド版はビジュアル的になかなか面白いものを見せてくれます。オーウェンがエリに対して「血の交わりを結ぼう」と自らの指を傷つけ血を見せると、アビーはヴァンパイアとしての本性をむき出しにします。血液を目の前にして、アビーは目の色が文字通り変化し、歯をむき出しにします(残念ながらドラキュラ的な牙は無し)。面白いのは、その時の肌の変化。まるでにきびや皮膚病のようなものが肌に浮き出てくるのです。それが結構斬新な映像となっていて、見応えがありました。プログラムにも触れてありましたが、マット・リーヴス監督は思春期特有の身体的悩みを象徴して見せたんだとか。なかなかユニークな視点であります。
【実に正しい採血方法!】
「ぼくエリ」の冒頭でホーカン(今作でいうところの“父親”)がエリのために殺人を犯す場面があります。が、この場面が実に間抜けなシーンとなっていて、公開当時オイラは映画を見ながら「お前はバカか?」とスクリーンに向かってツッコミを入れまくっていたのです。というのも、ホーカンが月明かりがこうこうと照らされた明るい場所で殺人(血を抜く作業)をしていたからです。「そんな明るい場所で犯罪をやってたらみんなにバレますよー」と心配していたら、案の定通りがかりの人に現場を目撃されてしまうホーカン。長年エリのために“採血”してきたとは思えないホーカンの無能ぶりに、オイラはあきれてしまった訳です(裏読みすれば、ホーカンの採血方法が段々雑になってきているとも受け取れますが、残念ながらオイラはそこまで寛大じゃないぞ!)。
で、同じシーンが当然「モールス」にもあった訳ですが、今作では同じ林の中でもちゃんと薄暗い場所を選んで“採血”をしています。実に正しい殺害方法です。首をちゃんと刺す場面があるのもいい(こういう場面をごまかして撮っちゃダメ!)。オイラが「ぼくエリ」を見てギャフンときた場面を、正しい映像に修正してくれたマット・リーヴスにはグッジョブ!と言わざるを得ません。
【キラリと光る、マット・リーヴスの演出!】
その殺人に関して、マット・リーヴスは、なかなかの演出を見せてくれます。
今作「モールス」でアビーの“父親”は、採血のための標的を車の運転をしている人間を選びます。標的とする人物がいったん車を離れると、その隙に車内のバックシートへと潜り込み、拉致の機会をじっと待ちます。やがて人気のない場所(今作では踏切)まで車がくると、ゆっくりと身体を起こし、標的を襲うのです(因みに、この時点では殺しません。眠らせるだけです)。この一連のシーンが実に緊張感に包まれており、見応え充分。正にホラー映画のあるべき正しい姿です。また、その後同じ方法で拉致しようとして失敗する場面がありますが、その模様を車内に設置したカメラでワンカットで見せる映像など、なかなかユニークな映像もあり、その才能を垣間見せるマット・リーヴス監督には、なかなかなものを感じました。
.....とこのように、今作「モールス」はオリジナル版「ぼくエリ」よりも優れた点がいくつもあって、それが個人的にはキラリと光って見えました。だからこそ、逆に残念だった部分もより際立ってしまいました。今度はそのあたりについて感じたことをいくつか。
【なぜ、コピー映像が満載なのか?】
リメイクだからと言って、その画作りまでそっくり真似する必要はないでしょう。
むしろ映像作家であれば、リメイク作品を作る際、オリジナル映像とは違うビジュアルを模索するのが普通だと思います。例え同じ場面であったとしても、「お前がそう撮るなら、俺はこう撮るぜ!」みたいなそういう思考が映画監督としては正しいと思うのですが、マット・リーヴス監督はなぜかオリジナル映像をそのままコピーしたとしか思えない映像を撮りまくっています。アビーの父親が病院から墜落する場面、アビーが通行人を襲う場面、衝撃のクライマックス場面など、とにかくオリジナル映像をそのまんま模倣したとしか思えない映像だらけで、逆にそのことにちょっと驚いてしまいました。そしてなぜここまで徹底して映像をコピーしたのか?が理解出来ませんでした。先に述べたように要所要所では冴える演出を見せてくれたマット・リーヴス監督。出来ることならオリジナル版とはひとつも同じような映像は作らないぜ!ぐらいの意気込みで、今作を撮って欲しかったです。
【これが特殊メーキャップの限界なのか?....否!】
アビーの“父親”がもしもの時のために用意していたもの....それは硫酸。警察に捕まっても身元が判明しないようにと硫酸を顔に浴びせかけるためのものです。そして遂にその時がやってきます。父親は硫酸を浴び、その顔が焼けただれてしまいます。オリジナル版「ぼくエリ」では、その特殊メーキャップの出来が今ひとつだったため、ホラー映画ファンとしては今作にハリウッド的凄腕メイクを期待していたのですが、今作でも残念ながらその出来は今ひとつでした。確かに「ぼくエリ」と比べればそのクオリティは優れていましたが、オイラ的にはもっと出来るんじゃない?という思いの方が強かったです。
昨今は皆デジタルCGに頼りすぎていて、特殊メーキャップ業界も人材が不足しているのかな?とちょっと心配になったオイラです。オイラはリック・ベイカーやロブ・ボッティン全盛期をリアルタイムで体験してきた世代なので、特殊メーキャップの持つパワーを信じています。「ダークナイト」のトゥーフェイスに代表されるように、最近では特殊メイクもデジタルCGの恩恵を受けることが多くなりましたが、それでもオイラはアナログな特殊メーキャップの持つ凄さを知っています。そんな意気込みを感じさせるような特殊メーキャップを見せて欲しかった!。
【マンガちっくな、CGアニメーション】
アビーが人を襲う場面で、その挙動の凄さを見せるためにモーション(動き)をCGモデルに置き換えて見せているのですが、それがいかにもマンガ的で残念な画となっていました。例えば、「スパイダーマン」のように、ライブアクションでは不可能なアクションシーンに、CGモデルを使用することはよくあります。オイラはアクション場面にCGモデルを使用するその映像自体は別に嫌いな訳ではありませんが、この作品に於いてはそこだけが妙に浮いていて、違和感大でした。別にライブアクションだけでもそれなりに迫力ある映像は撮れただろうに、なんだか安易にCGモデルに頼ってしまった感は否めませんでした。
【いわゆる“ボク”問題について】
このリメイク作品に於いて、最も問題だと思われる点は、アビーのいわゆる“ボク”問題についてです。「ぼくエリ」をご覧になった方ならもうおわかりのように、女の子だと思われていたエリは実はかつては男の子であり、それが去勢されて今のような姿で何百年も過ごしてきた(意識的になのか?はたまた無意識になのか、エリは少女という側面を利用して生きてきた)という驚愕の事実があるのです。「ぼくエリ」ではエリが着替える際にそこを覗いたオスカルがそのことに気付く場面があるのですが、なんとマット・リーヴス監督はその場面を丸々削除しているのです!。「ぼくエリ」ファンからは「そこは一番カットしちゃいけないところだろう!」との声が聞こえてきそうですが、実をいうとオイラ的にはそれほど気にはなりませんでした。
プログラムで柳下毅一郎さんも触れられているように、この作品は完全にオーウェンの思春期物語として描かれており、その視点からするとアビーはオーウェンが恋する異性の対象である必要があり、かつてアビーが男の子だったという情報はそんなに重要なことではありません。マット・リーヴス監督もその点について「作品の軸がぶれるから、そこは敢えてカットしたんだ。あとは見る人が自由に判断してくれればいいよ」というスタンスで、その潔さに逆に感動すら覚えてしまいました。
よく原作物が映画化された際、「原作と違う!」と怒る人がいますが、オイラは元々原作とそれを元にした映画はまったくの別物だと思っています。だから、今作「モールス」でマット・リーヴス監督がアビーがかつて男の子だったという、原作において最も衝撃的な部分をばっさりカットした英断には、逆に拍手をおくりたい気分です。自身が映画化した際、物語で何を一番伝えたいのか?、その主旨はすごく明確な作品でした。それ故に、オリジナル版のコピー映像が満載な点に関してはすごく残念でした。ひょっとしたら、リメイク化に際して、オリジナル作品と同じような映像をいくつか挿入するように、そんな制約でもあったのかな?と逆に勘ぐってしまいました。
そんなコピー映像だった、いわゆる衝撃のクライマックスについてもひと言だけ。
オーウェンがプールでトレーニングを受けていると、いじめっ子達が登場。オーウェンはそこで無理矢理水中に沈められるといういじめを受けます。そこにアビーが登場、いじめっ子たちを虐殺していきます。プールに沈められているオーウェンには最初何が起こっているのかがわかりませんが、水中にいじめっ子たちの肉片(頭部とか)が沈んでくるのを見て、初めてプールサイドで何が起こっているのかを理解します。そして、オーウェンがプールサイドにあがると、そこにアビーが佇んでいるのです。
これは「ぼくエリ」とまったく同じ展開であり、「ぼくエリ」を見た時にも感じたことなのだけど、少年たちをアビー(エリ)が虐殺する場面をオーウェン(オスカル)に見せないというのは、卑怯だと思うんですよね。アビー(エリ)が持つヴァンパイアとしての残虐さ、残酷さをオーウェン(オスカル)見た上で、それでもなおアビーについていく決心をしたというのなら、彼の決心みたいなものを感じられてエンディングの余韻もまた違ったものになったのでしょうが、残念ながらエンディングのオーウェンは実にのんきです(鼻歌とか歌ってるし)。なんだかプチ家出を楽しんでる少年のようにも見えました。まあ考えてみれば、この先オーウェンには地獄のような生活が待っている訳で、そんなことも知らず、のんきに鼻歌なんかを歌ってるオーウェンの姿が、かえって切なくもあるんですけどね。
今作「モールス」は、「ぼくのエリ〜200歳の少女」のリメイク作品であります。
一見すると同じような作品ですが、実は微妙に違う作品でもありました。
想像していたよりも楽しめたし、マット・リーヴス監督の次回作にもちょっと注目してみたくなった「モールス」でありました(^皿^)。
「....あー、使えない男って、大嫌いッ!」
マイケル・ジアッキノ/オリジナル・サウンドトラック 『モールス』
- アーティスト:
- 出版社/メーカー: ジェネオン・ユニバーサル
- 発売日: 2011/07/27
- メディア: CD
マイケル・ジアッキーノは、ほんといい仕事するよなあ。
「カーズ2」での仕事ぶりも気になります(^皿^)。
さて、この「モールス」。
オイラが行った劇場は、新宿にあるシネマスクウェアとうきゅうという映画館。
最近は、やれピカデリーだバルトだと、シネコンばかりに行ってたので、このテの映画館はほんと久しぶり。何より、自由席っていうのが昭和を感じさせていいよね!(^皿^)。
このシネマスクウェアとうきゅうという映画館、スクリーンは小さいけど、何気にシートが広く、座り心地が良いのがポイント高し。こういう老舗の映画館には頑張って続けて欲しいと思うけど、近くを見渡したら近隣の映画館が軒並み閉館になってて、ちょっと切なくなりました。新宿コマ劇場跡にもシネコンが出来るらしいから、このテの古い映画館は経営的にも苦しくなっていくんだろうけど、なんとか頑張って欲しいなあ。
....ってか、頑張れ!シネマスクウェアとうきゅう!
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