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進む道は、自分で決められる〜「ランゴ」を鑑賞する [映画鑑賞]

ゴア・ヴァービンスキー監督と言えば、大ヒットした「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズが有名ですよね。オイラも1作目を見た時は、ディズニーランドの単なるアトラクションをうまく映画化したなあとそれなりに評価していた訳ですが、2作目、3作目と続いた続編は、冗長なばかりで映画としての面白さはまったくないという駄作で、オイラの中でヴァービンスキー監督の株はどんどん下がるばかりでした。
そんな中やってきた、ゴア・ヴァービンスキー監督の新作「ランゴ」。
今作は、西部劇愛に満ちたまったくのオリジナル作品。
これが単なる新作なら劇場鑑賞をスルーするところですが、オイラ好みの個性的なキャラクターデザインや好きな西部劇とくれば、これは見ない訳にはいきません。もしこれがダメだったら、ゴア・ヴァービンスキー監督に、永遠の別れを告げることになるでしょう。
 
「ランゴ」(原題:RANGO)カラー/107分
  監督:ゴア・ヴァービンスキー
  音楽:ハンス・ジマー
声の出演:ジョニー・デップ(ランゴ〜カメレオン)
     アイラ・フィッシャー(マメータ〜トカゲ)
     アビゲイル・ブレスリン(プリシラ〜ネズミ)
     アルフレッド・モリナ(ロードキル〜アルマジロ)
     ビル・ナイ(ジェイク〜ガラガラヘビ)
     ネッド・ビーティ(町長〜陸ガメ)
     他
 
【あらすじ】
悠々自適な生活をおくるランゴ(ジョニー・デップ)は、お芝居に夢中のカメレオン。
ある日、彼を飼っている家族がハイウェイを移動中アクシデントに遭遇、ランゴはひとり砂漠のド真ん中に放りだされ、置き去りになってしまった。困惑するランゴだったが、なんとか近くの町ダートタウンへと辿り着く。そこはさびれた西部の町。命のもとである“水”が尽き果てようとしていたその町で、ランゴは軽い気持ちでついた嘘のおかげで、保安官として働くことになる。ヒーロー気分を満喫してまんざらでもないランゴだったが、巨大な陰謀が密かに彼へと迫っていた....
 
 

映画「ランゴ」は、“魂の再生”の物語である。
それまで漠然と過ごしてきた人生に、ある日突然転機が訪れる。それも半ば強制的に。
当初は、持ち前のバイタリティで身の回りで起こる問題をそつなくこなしていくランゴ。が、それもやがて限界がやってくる。偽りの姿は、所詮偽りの人生なのだ。そのことに気付いた彼を襲う、絶望という名の暗い闇。闇に囚われ、もはやこれで人生も終わりという正にその時、ランゴは暗闇の中で一筋の光を見いだす。光りの中に現れたのは、“西部の精霊”である。彼は、ランゴに語りかける....
「自分の進む道は、自分で決められる」と。
ランゴは、一度死ぬ。そして、生まれ変わる。
再生した彼は、自分自身の足で立ち上がる。
そして、自ら進むべき道を決断するのだ。
そこに偽物の自分はもはや存在しない。
そこには、紛れもない本当の自分(ヒーロー)が存在するのである。
 
ゴア・ヴァービンスキー監督の、西部劇愛に満ちた異色西部劇。
CGアニメだからといって、決して子供向けのお話ではない。
ましてや、可愛いものが好きな女性向けの作品でもない(この作品に、可愛いキャラクターは一匹たりとも出て来こない!)。
これは、まぎれもなく大人の男たちに向けられた寓話。
もちろん、西部劇のお約束も満載だ。ランゴ(よそ者)が酒場に入った時の、あの雰囲気がたまらない。決闘場面での、ヒリヒリする緊張感(乾いた風、転がるカラ草、時計塔の針が動く時の音....ガンコン!)。そして、迫力の馬車チェイスシーン。どれもこれもが西部劇を見ていると目にするお約束の光景が随所で見られ、実に楽しい。
登場人物たちも実に魅力的だ。
先述したように、この映画に可愛いキャラクターは一匹たりとも出て来ない(正にディズニーとかピクサーとは対極に位置する作品)。でも、そこがいい!。ゴア・ヴァービンスキー監督は「パイレーツ・オブ・カリビアン」でもデイヴィ・ジョーンズをはじめとする不気味な海賊たちを登場させたが、そのセンスは決して間違ってない。
アシンメトリーなデザインが秀逸な主人公のランゴを始め、ギョロ目が実に不気味なヒロインのマメータ、鼻先がリアルすぎる子ネズミのプリシラ(演じるアビゲイル・ブレスリンは、めっちゃ可愛いのに!)、そして醜く汚いダートタウンの面々。その中でも、突出すべき存在感を見せるのは、ランゴの前に立ちはだかる凄腕ガンマンの殺し屋・ジェイク(ガラガラヘビ)。気味悪さとかっこ良さ(模様がヒゲになってるところを見逃すな!)を併せ持つ、正にこれぞ悪役!といったところだ。
興味深いのが、このジェイクによってランゴは一度“殺される”のだが、それが銃を使わずして殺すという(それがどういう意味なのかは是非劇場で確かめて欲しい)のが面白い。ランゴを奈落の底に突き落とす一方で、生まれ変わったランゴを漢(おとこ)として認めるのもまたジェイクなのが泣かせる。ジェイクは紛れも無く悪役ではあるが、今や数少ない西部の漢(おとこ)でもあるのだ。「パイレーツ・オブ・カリビアン」でディヴィ・ジョーンズを演じたビル・ナイの好演が光る。
 
一時はオイラの中で急落したゴア・ヴァービンスキー監督の株価だったけど、今作「ランゴ」で再び急上昇することになった。この監督、まだまだ信用出来る!(^皿^)。


 

ランゴ オリジナル・サウンドトラック

ランゴ オリジナル・サウンドトラック

  • アーティスト: サントラ
  • 出版社/メーカー: SMJ
  • 発売日: 2011/10/19
  • メディア: CD

♪ランゴ〜、ランゴ〜
オープニングからこれぞマカロニウェスタンな音楽を聴かせてくれるハンス・ジマー先生。フクロウ楽団の連中が実に楽しい。これはオイラのハンス・ジマーコレクション入り決定!(^皿^)v。
  
 
実は当初、日本語吹き替え版を鑑賞しようと思っていたのだけれど、思いのほか吹き替え版の上映館数が少なくて、仕方なく今回は字幕スーパー版での鑑賞となった訳だが、映画が始まってすぐ「やっぱり吹き替え版で見れば良かった!」と強く思うのであった。
冒頭に登場するアルマジロの台詞が、その大きな要因である。実はアルマジロの声を担当するアルフレッド・モリナは、いわゆるメキシコ訛りの英語を喋っていたのだけれど、その雰囲気を表現するために字幕が関西弁になっていたのだ。だが、これが結構微妙な感じだったのである。いや、字幕を関西弁に変えたこと自体は別にいいのだ。要するに、関西弁を文字で読むということへのもどかしさを強く感じたのである。
以前、「シュレック4」に関する記事で浜ちゃんの関西弁に触れましたが、英語訛りを日本語の方言で表現するというのは、演出としてうまい置き換えだなと思う。しかしながら、それはやはり字幕ではなく吹き替えで体現したい。果たしてこのアルマジロの台詞、日本語吹き替え版ではどうなっているのか?、非常に興味がわくところであります。またランゴがジョニー・デップだとすると、おそらく日本語吹き替え版でランゴの声を担当するのは、平田広明さんだと推察されます。平田さんによるランゴの声で作品を見たら、作品から受ける印象もまた、違ったものになるかもしれません。このあたりはソフト化された時、改めて確かめてみたいと思います(^皿^)/。
  
   
 
      「ボクって、いったい何者!?」
      ランゴ.jpg
  
    
ここからは恒例のダメ出しのコーナーです(^皿^)。 
概ね楽しめた映画「ランゴ」でしたが、だからといって不満がなかった訳ではない。
そのあたりについて、ちょっとだけ触れておきます(ネタばれあり!)。
....ちょっとだけと言いながら、結構な長文になってますが(苦笑)。
お暇な方だけ、お付き合いを。
 
【なぜ、ランゴはアロハシャツ1枚で登場するのか?】
映画冒頭、アロハシャツ1枚のみを着用して登場するランゴ。それ自体は別にどうってことはないのだが、これが彼がダートタウンに到着すると、俄然その姿に違和感が生じ始める。何故なら、ダートタウンの面々は、衣装をちゃんと着込んでいるからだ。その中にランゴが紛れると、彼だけが下半身を露出しているように見えて、これが絵的にすごく間抜けだった。もちろん、ダートタウンにもいわゆるズボン的なものを着ていないキャラも登場はするが、ランゴほどの違和感はない。ランゴは物語の主人公である。せめて最初からズボン的なものを着用させられなかったものか。ランゴの言葉を借りれば、これもまた何かの“メタファー”だったのだろうか?。
 
【ランゴの世界に於ける、鳥の存在について考える】
「ランゴ」には、様々な動物を擬人化したキャラクターが登場する。カメレオンのランゴ以外は、すべて砂漠に住む動物がモチーフになっているようだ(中にはサソリとかクモといった、昆虫系の生き物もいたりする)。その中に鳥を擬人化したキャラクターが出てきます。フクロウ楽団マリアッチ、ネイティブ・アメリカン風カラス、ライチョウのじいさん、etc...どれも魅力的なキャラクターです。
ところが、その一方で「ランゴ」では鳥が純粋な動物として描かれています。冒頭、ランゴを襲うタカ(このタカ、くちばしに装飾を施しているので完全に野生動物という訳ではないが、擬人化はされていない)や、馬がわりに登場する鳥などがそうです。このことが世界観の統一という観点からすると、非常にアンバランスに思えてならなかった。鳥を擬人化したキャラが鳥に騎乗したり、或いは襲われたりするという構図への違和感。そんな風に作品を見ていたのは、オイラだけだったのだろうか?。いっそのこと、鳥類は純粋に“動物”として描いた方が良かったのではないだろうか?。
 
【“西部の精霊”について】
人生に絶望し、砂漠を彷徨ううちに倒れ込むランゴ。失った意識の中で彼が出会うもの....それが西部の精霊です。彼はランゴに対して、進むべき道を指し示してくれます。この西部の精霊、いったいどんな姿で登場するのかな?と思っていたら、なんとそのお姿は....
クリント・イーストウッド!(^皿^)
正確には、クリント・イーストウッド風の男なのですが、これにはオイラもビックリ!でした。
もちろんクリント・イーストウッドなのにも驚きました(声までそっくり!、演じるは御大自身ではなくティモシー・オリファントという役者さん)が、それよりも「えっ、ここで人間出しちゃうの!?」的な驚きの方が強かった。同じく動物を扱ったCGアニメ「ハッピー・フィート」で人間が登場した時と似たような驚きを持ちました。そこで....ふと感じたのです。このサプライズをもっと効果的にするためには、冒頭で人間を映さなかった方が良かったのではないか?と。
実は映画の冒頭で、ランゴがハイウェイでトラブルに巻き込まれる際、人間が映ります。オイラはこの場面で人間を映さない方が、後に西部の精霊が登場する場面での衝撃度がより大きくなったのではないか?と感じたのです。そもそも、冒頭のドタバタ劇で人間を映さなくて良かったのに....と疑問ではあった訳です。いわゆる“トムとジェリー方式”(人間の首から上は描写されない)でも良かったはずなのに、なぜ顔まで映しちゃうんだろう?と、疑問に感じていた訳ですが、その答えがプログラムの中にありました。映画ライター・冨永由紀さんの寄稿文によれば、その時映し出される人間というのが、ジョニー・デップ主演「ラスベガスをやっつけろ!」でデップが演じていたラウル・デュークだというのです。確かに、楽屋オチとしては面白い一コマかもしれません。しかし、映画全体の演出を考えたら、冒頭で人間の顔を映し出すことは、やはりおかしい。西部の精霊登場場面で初めて人間の顔を映し出してこそ、あの場面がより強烈な印象になったはずです。
 
【ランゴのデザインについて】 
アシンメトリーなデザインが秀逸なカメレオンのランゴ。ところがこのランゴ、いざ画面上に登場すると、意外にも表情が乏しいのがよくわかる。いかにジョニー・デップが大騒ぎしようとも、ランゴ自体の表情はそれほど変わらない。それはいったい何故なのか?....原因はランゴの目にあるように思う。
ランゴはカメレオンである。だから眼球自体は丸々としてとても大きい。ところがである。その中で瞳が締める割合はものすごく小さい。要するにランゴの目はとても小粒なのだ。更に不都合なことにランゴのまゆげにあたる部分はほぼ固定で、表情を変化させても動くことが極端に少ない。このことが表情の乏しさに繋がっているのではないか?と感じられた。
※ 例えば、カメレオンと言えば最近では「塔の上のラプンツェル」に登場したパスカルが思い浮かぶが、パスカルはよりアニメ向きなデザインのため、眼球そのものが瞳というデザインになっている。これにより台詞のないキャラだが、実に表情豊かな姿を見せてくれる。
また表情を表現するのに、まゆげの動きはとても重要だ。そのことはクレイアニメ「ウォレスとグルミット」のグルミットを見ればよくわかる。彼もまた台詞のないキャラクターだが、まゆげの動きひとつで実に様々な表情を見せてくれる(時々カメラ目線になるのが、実に笑える!)。
「ランゴ」では比較的リアルな描写で動物を擬人化しているため、ランゴ自身もこのようなデザインになったと推察されるが、そのおかげで映画の主人公としては、或いはアニメの主人公としては、やや不向きな顔立ちになってしまったことが残念である。
 
【エモーション・キャプチャーについて】
公開前からひとつの売り宣伝になっていたエモーション・キャプチャー。アニメのキャラクターを実際の俳優が演じるというものだが、今作に限って言えば、別にどうってことないものだった。というより、そんなものははっきり言って無用の長物だと感じた。
例えば「アバター」の宇宙人や最近では「猿の惑星:創世記」などでもCGキャラクターを生身の俳優が演じてきたが、今作のエモーション・キャプチャーはそれらとは明らかに別物であると断言したい。
そもそもアニメというのは、実写では表現出来ないような動きを楽しむためのものだ。跳んだり、はねたり、走ったり、そういった動きをよりダイナミックに楽しむものが、アニメーションなのである。それなのに、アニメの動きを普通に人間がやりましたと言われても、それは本末転倒でしかない。いくらランゴをジョニー・デップ本人が演じましたと言われても、それはランゴというキャラクターの動きのほんの一部でしかありません。結局大半は従来通りCGアニメーターが動きをつけて(お芝居をさせて)いる訳で、なんら今までと変わりはないのです。
昔からディズニーなどは声の収録にアニメーターが同席して声を担当する役者の動きを観察し、それを実際のアニメに活かすという作業をしてきました。エモーション・キャプチャーは、それと大して変わらないことを無駄な金を使ってやっているにすぎないのです。  
 

以上の他にも、例えばアルマジロとの禅問答のようなやりとりなどは映画の入口としては非常にとっつきにくい印象だし、幻想と現実がごちゃ混ぜの映像(サボテンが唐突に歩き出す)の違和感、あまりにもわかりやすい町長の悪党ぶりなど、欠点も多々ありましたが、全体として見れば総じてよく出来た作品だったと思います。結構アクの強い作品なんで、万人にはお薦め出来ませんが、はやりの3Dに乗らなかったゴア・ヴァービンスキー監督はそれなりに評価したいと思う、ウン。
次回作も楽しみである。
 

The Ballad of Rango: The Art and Making of an Outlaw Film

The Ballad of Rango: The Art and Making of an Outlaw Film

  • 作者: David S. Cohen
  • 出版社/メーカー: Titan Books Ltd
  • 発売日: 2011/02/25
  • メディア: ハードカバー

目下のところ、コレを買うかどうか思案中....(^皿^;)
  

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