自殺志願者、歓迎します♪〜「スーサイド・ショップ」を鑑賞する [映画鑑賞]
『人生に失敗しましたか?、でもご安心を
私たちなら失敗なく確実に逝かせてあげます』
〜スーサイド・ショップのモットーより
『スーサイド・ショップ』
原題:Le Magasin des Suicides
2012年 フランス・ベルギー・カナダ合作 カラー 79分
監督:パトリス・ルコント
原作:ジャン・トゥーレ著:「ようこそ、自殺用品専門店へ」
音楽:エティエンヌ・ペルション
声の出演:ベルナール・アラヌ ....ミシマ・トゥヴァシュ
(スーサイド・ショップ店長)
イザベル・スパド ....ルクレス(ミシマの妻)
ケイシー・モッテ・クライン ....アラン (トゥヴァシュ家の末っ子)
イザベル・ジアニ ....マリリン(トゥヴァシュ家の長女)
ロラン・ジャンドロン ....ヴァンサン(トゥヴァシュ家の長男)
【あらすじ】
そこは絶望に彩られた街。今日もあちらこちらで自殺者が後を絶たない。
そんな自殺志願者が目指す場所が、この街で代々続く老舗の自殺用品専門店「スーサイド・ショップ」である。主人のミシマ(ベルナール・アラヌ)と妻ルクルス(イザベル・スパド)は、悩める自殺志願者に対して、最良の自殺道具を提供すべく、仕事にせいを出す日々。長男ヴァンサン(ロラン・ジャンドン)や長女マリリン(イザベル・ジアニ)もそんな両親を手伝う親孝行な子供たちだった。
ある日、妊娠中だった母ルクルスが、待望の赤ちゃんを出産した。生まれたのは男の子で、アラン(ケイシー・モッテ・クライン)と名付けられすくすくと成長したが、家族にはひとつだけ大きな悩みがあった。それはアランが“超前向きなポジティヴな志向”の持ち主だった事!。常に明るく人生を楽しく生きようとするアランの姿に、ネガテゥヴ思想の一家は戸惑うが、やがて、ひとりまたひとりと、そんなアランの姿に影響されていく。
だが、それは『自殺用品専門店』の営業危機を意味していた....
独特の画のタッチと、扱うテーマがユニークなアニメ「スーサイド・ショップ」。
しかし、東京だと有楽町のみでの公開&苦手な3D上映、ということで、「残念ながら今回は劇場鑑賞スルーかなあ....」と思っていたところ、日曜日の夜に通常版の上映があることを知り、急遽先週末29日に鑑賞してきました(^皿^)。
【物語について】
自殺に用いる道具を扱うお店を舞台にした物語ということで、全編とにかくブラック・ユーモアに溢れた内容となっていました。ただ、この物語のキモとも言うべき設定が同時に最大のツッコミどころでもあります。冒頭、自殺しようとしていた人を止めた老人がこう言います〜「公の場で自殺したら、残された家族が警察からひどい目にあうぞ!」。でも、そんな自殺志願者を手助けしている「スーサイド・ショップ」は、特に警察から目をつけられることなく、堂々と営業している矛盾。これは原作どおりの設定なのでしょうが、このあたりの矛盾はもう少し脚色(例えば、表向きは普通の道具屋だけど、裏で自殺用品も扱っています....みたいな)しても良かったなと感じました。
原作は残念ながら未読なので、映画版との違いはわかりかねますが、脚本的には「惜しい!」と感じさせられる部分が、いくつかありました。例えば、前向きなアラン少年によって家族が少しづつ影響されていくくだりですが、それが具体的に描かれるのは、長女マリリンとの関係のみで、長男ヴァンサンとの絡みはほとんどありませんでした。それだけに、長女だけでなく、長男、そして母親と、アランによって影響されていく一家の過程をそれぞれ見せて欲しかったと感じました。それがあって初めてクライマックスの父ミシマとアラン少年の追いかけっこに、より説得力が生まれたと思います。
更に、その追いかけっこ後に待ち受ける衝撃の場面も、演出的に実に惜しい場面でした。
ネタばれしますが、ビルの屋上に追いつめられたアラン少年は、父ミシマの目の前で飛び降り自殺!をします。疎ましい存在であったはずの息子の死を目の前にして、父ミシマは初めて息子に対する愛情を再確認します。これまで考えようともしなかった“愛する者を失う家族の悲しさ”を身を以て体現することになる父ミシマ。しかし、これはアラン少年によるイタズラで、実は死んでいなかったというオチがつきます。
でも....このオチを見せるのが早いッ!(^へ^;)
この場面では自殺でアランを失った父ミシマに、後悔と懺悔をさせなければなりません。
それをきちんと描いてからじゃないと、実はアランが“生きていた!”ことに対する驚きと嬉しさのカタルシスが生まれません。ついでに言うと何度も繰り返されるトランポリン場面も特に必要なし。あそこはビル屋上への出入り口=ミシマの背後から静かに登場した方が効果的だと感じました。その姿に思わず驚いて「飛び降りたはずなのに!」とビルの下を確認したら、そこにクッションを持った友人たちがいた!....みたいなネタばれでも充分だったように感じました。
【アニメーションについて】
一番目をひいたのが、背景の美術デザインの素晴らしさです。「スーサイド・ショップ」の内装や灰色のトーンで統一された街並など、本当に素晴らしかったです。
アクの強いキャラクターデザインは好みが分かれるところですが、個人的には大好きなジャンルなので、そこはOK!。ただ、ひとつだけ気になった点がありました。これは本筋とはまったく関係のない話なのではありますが、エンディングでの一コマでのことです。転職したトゥバシュ一家が人生讃歌の歌を謳い、この作品は幕を閉じます。その際、主人公一家をとりまく街の住人が出てくるのですが、これが明らかにメインキャラクーたちとは違うデザインになっていて、それが画(え)として違和感大でした。
こういう風に説明すると皆さんに伝わりやすいと思います。
例えば宮崎アニメに於いて主要キャラは駿タッチで描かれているのに、脇役キャラは駿タッチではなかった....みたいなことです。昔、80年代少年ジャンプ世代だったオイラは「キン肉マン」が大好きでした。でも当時、主要キャラを描くゆでたまご先生の画と、背景キャラを描いているアシスタントさんとの画があまりにも違い過ぎて、その事がとても嫌だった記憶があります。中には画のタッチを統一させる漫画家さんもいますが、そういうことにこだわりがない漫画家も結構いて、例えばいまだ連載中の「亀有公園前派出所」も、そうした傾向が顕著です。オイラはそうした画の統一感の無さが生理的に嫌で、そうした印象をこの作品のエンディングで受けてしまったのが残念でなりませんでした。あのエンディングを見て真っ先に頭に思い浮かんだことは、あの脇役キャラのモデルは、ひょっとしてスタッフを描いたものだったのでは?という印象を受けました。あくまでもオイラの想像でしかありませんし、仮にそうした内輪ウケのネタだったとしても、そのこと自体は別に構いませんが、せめて画(え)のタッチは主要キャラと同じデザインにして、画としての統一感を出して欲しかったです。
アニメ自体は手描き風ではありましたが、実は結構な部分でデジタル技術が使用されていました。車の挙動などはもちろんでしたが、キャラクターのモーションにも一部デジタル仕様になっていて、それがちょっと残念でした。せめてキャラクターだけは全編手描きにこだわって欲しかったです。この作品は三カ国による合作なので、デジタル部分とアナログ部分をそれぞれの国で分業していたのかもしれません。
【総括】
恐らく目の肥えた映画ファンがこの作品を鑑賞したら、真っ先に頭に思い浮かぶことは....
ものすごく、ティム・バートン的!!
....という事だと思います。実際、監督のパトリス・ルコントはプログラム内のインタビューでもティム・バートン好きを公言していますし、その影響が作品に色濃く反映されていた部分は否めません。オイラがこの作品を見終わって真っ先に感じたことは、パトリス・ルコント監督についてではなく、「もし、この作品をティム・バートンが監督していたら、どうなっていただろう?」ということでした。現在のティム・バートン監督には何の魅力もありませんが、「バットマン・リターンズ」を撮っていたころの、ギラギラしていたバートンなら、きっとこの作品をより魅力的に演出出来ただろうなあ....と強く感じた映画「スーサイド・ショップ」でありました(^皿^)。
不幸にも、自殺に失敗しましたか?
いいえ、幸いにも新たな人生を生きるチャンスを得たのです!
【追記】
宮崎駿監督最後のアニメ作品と言われている「風立ちぬ」では、主人公の喫煙シーンをめぐり賛否両論の物議が醸し出されたそうですが、この作品を見たあとでは、そんな議論もアホらしく感じてしまいます。だって、この作品では父親が息子に喫煙を推奨する場面があるんですよ。しかも、息子が喜んでそれをスパスパ吸うという、実に不謹慎極まりない映像が満載!(^皿^)。PTA関係者が見たら確実に卒倒するような、そんなブラック・ユーモアがたまらなっかたです。
【更に追記】
日本では毎年3万人近い人が自殺によって自らの命を絶っています。
一方、フランスでの年間自殺者数は、1万人ちょっと。
日本では若い人の割合が多く、フランスでは高齢者の割合が多いとのことです。
「震災で亡くなった人のために、冥福を祈りましょう」という声は湧き起こるのに、
「自殺した3万人の方々のご冥福をお祈りしましょう」という声はあがらないこの国に、
変な気持ち悪さを感じるのは、私だけでしょうか?。
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