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前作以上の不出来っぷりにガッカリする〜『アメイジング・スパイダーマン2』を鑑賞する [映画鑑賞]

 
       『 アメイジング・スパイダーマン2 』
        (原題:THE AMAZING SPIDER-MAN 2)
        2014年 アメリカ映画 上映時間:2時間23分
 
 監督:マーク・ウェブ
 脚本:アレックス・カーツマン
    ロベルト・オーチー
    ジェフ・ピンクナー
 原作:スタン・リー&スティーブ・ディッコ
 音楽:ハンス・ジマー&マグニフィセント・シックス
    Featuring ファレル・ウィリアムス&ジョニー・マー
 
 出演:アンドリュー・ガーフィールド ....ピーター・パーカー/スパイダーマン
    エマ・ストーン        ....グウェン・ステイシー
    ジェイミー・フォックス    ....マックス・ディロン/エレクトロ
    デイン・デハーン       ....ハリー・オズボーン/グリーン・ゴブリン
    キャンベル・スコット     ....リチャード・パーカー(ピーターの父親)
    エンベス・デイヴィッツ    ....メアリー・パーカー(ピーターの母親)
    サリー・フィールド      ....メイおばさん
    クリス・クーパー       ....ノーマン・オズボーン(ハリーの父親)
    コルム・フィオール      ....ドナルド・メンケン
    ポール・ジアマッティ     ....アレクセイ・シツェビッチ/ライノ
 
【あらすじ】
スパイダーマンであるピーター・パーカー(アンドリュー・ガーフィールド)は、今日もニューヨークの街で犯罪者を相手に戦う日々。そんなスパイダーマンの活躍は、N.Y.の市民にもすっかり受け入れられていた。一方で恋人だったグウェン・ステイシー(エマ・ストーン)との関係は、微妙な間柄が続いていた。
ある日、オズコープ社の電気技師マックス・ディロン(ジェイミー・フォックス)は、事故に巻き込まれそうになったところを、偶然スパイダーマンに助けられた。その事をきっかけにスパイダーマンへと心酔していくマックス。それまで孤独に生きてきたマックスにとって、ヒーローであるスパイダーマンは心の支えとなる。
一方、ピーターの旧友だったハリー・オズボーン(デイン・デハーン)が寄宿学校を卒業してNYの街へと戻ってきた。再会を喜ぶピーターとハリーだったが、ハリーにはある重大な問題が持ち上がっていた。
そんな矢先、マックスはオズコープ社内の研究室で事故に巻き込まれ、電気を自在に操作出来る特殊体質の持ち主となってしまった。外見もすっかり変わってしまったマックスは、意志に反してNYの街を混乱させてしまう。そこに現われたスパイダーマンに対して助けを求めるマックスだったが、スパイダーマンに悪党扱いされてしまう。失望と怒りに襲われたマックスは怪人エレクトロとなり、NYの街を破壊し始める....!
 
 
....う〜ん、やっぱり期待外れでした(^〜^;)
実は直前まで劇場鑑賞するかどうかすごく悩んだ本作。というのも、前作が個人的に期待外れの作品だったからです。でも、続編である本作には満を持してグリーン・ゴブリン登場!ということで、ヴィラン好きとしてはやはりその姿を確認せずにはいられず、かすかな期待を込めて鑑賞に挑んだ訳ですが....やっぱりマーク・ウェブ監督は期待に応えてはくれませんでした。どうやらオイラはマーク・ウェブ監督と相性が悪いみたいです。
というか、マーク・ウェブ監督自身がアメコミ映画と相性が悪いんじゃないだろうか?。
 
基本的にマーク・ウェブ監督の演出は嫌いじゃありません。
例えば、本作のオープニングであるリチャード・パーカーの下りは、すごく緊張感があって物語へとぐいぐい引き込まれました。一方ピーターとグウェンの友達以上恋人未満な関係の描き方もすごく好感が持てる演出で、このあたりはさすがマーク・ウェブ監督!といった趣きです。
ところが一転、ヴィラン(悪党)を描き出すと、その演出力が急激に失速し始めます。
わかりやすく言うと、ヴィランの人物描写がとても表面的で薄っぺらなのです。
一作目のリザードもそうでしたが、本作のヴィランたちも今ひとつ魅力に欠ける存在でした。ひょっとして、マーク・ウェブ監督自身がヴィランの存在をあまり魅力的に感じていないのではないか?、そんな事さえ勘ぐりたくなりました。しかしながら、アメコミ映画にとって、ヴィラン(悪党)は主人公と匹敵するくらい重要な存在です。悪役が魅力的であればあるほど、スーパーヒーローの輝きも比例して増していくのです。
と言う訳で、今回は“ヴィランの描き方”という視点で、マーク・ウェブ監督の演出の何がダメだったのか?を検証していきたいと思います。
 
 
【電気技師マックス・ディロン/エレクトロ
外見的ビジュアルは百点満点!、素晴らしいデザインでした。
青白く発光する肌から透けて見える無数の血管....とてもインパクトのある不気味なビジュアルは、悪役として申し分のないデザインです。ですが、その前段であるところのマックス・ディロンの描き方は、お粗末そのものでした。マーク・ウェブ監督(そして、脚本家たち)は基本的な部分を誤解しています。それは、マックス・ディロンが事故に遭遇してエレクトロになったと描いている点です。
でも、そうじゃありませんッ!
マックスがエレクトロになるのは、信頼していたスパイダーマンに裏切られたと感じたからです。マックスは唯一の心の支えを失った事で、絶望感から生みだされた怒りのせいでエレクトロになってしまうのです。だから、前段ではマックス・ディロンの疎外された日常、孤独な人生を丁寧に描く必要があります。ところが、マーク・ウェブ監督は、マックスのエキセントリックな性格ばかりを強調して描いています。だから、まるで頭のおかしい人物がそのせいで悪役になったようで、マックスに対して感情移入がしづらい作りとなっています。これはそのままマーク・ウェブ監督のヴィランに対する思い入れを表しているようで、ちょっと不快感を感じました。
マックスが研究所内での事故に見舞われる場面も、非常にこっけいで失笑ものでした。プロの電気技師である彼が、なぜあのような間抜けな行動をとるのでしょうか?。いくら急いでいたとは言え、設定に無理がありすぎます(マーク・ウェブ監督は、電気技師という職業をバカにしているのか?)。事故に遭遇するためのもっと説得力のある演出があったと思います。例えば、リストラを宣告されたマックスがオズコープ社の役員と口論となり、そのいざこざの過程で過って水槽に落下する....そういった描写の方がよっぽど自然です。電気ウナギのマンガ的描き方といい、この場面に於けるマーク・ウェブ監督の演出は、本当に稚拙でした。
 
スパイダーマンがタイムズスクエアでマックスに再会する場面で、スパイダーマンがマックスのことを覚えている点も不自然です。明らかに容姿も違いますし、何より適当な事を喋っているピーターがマックスのことを覚えている訳がありません。マックスに絶望感を感じさせるためにはピーター(即ちスパイダーマン)がマックスのことを覚えていないことが重要であり、またピーターが未だ“大いなる責任”を自覚出来てない未熟な人間だということを表現するためにも、あの場面でマックスのことを覚えていては駄目なのです。
 
更に付け加えるならば、マックスがエレクトロの容姿になるのが早すぎます。タイムズスクエアに迷い出てきた時点では、まだマックスの人間的容姿を残しておく必要があります。そこでスパイダーマンと再会し、助けを求めたのにも関わらず、街を混乱させた悪人扱いされて、そこで初めて怒りが沸き上がり、あの容姿....すなわちエレクトロと化さなきゃダメなんです。怒りの解放=(すなわち)それが電気の放出なのです。でも、マーク・ウェブ監督はまるで事故にあったからエレクトロになってしまった....みたいな薄っぺらな人物描写をしています。これではとても魅力的な悪役になる訳がありません。
 
更に、エレクトロになった後も、その描き方に問題が残ります。
エレクトロは電気を自在に操れる能力から、最終的には電気そのものに姿を変えられる進化を遂げますが、これが大失敗の元凶です。それってつまり“不死身”になったことと同じだからです。ピーターはエレクトロをやっつける方法として電気エネルギーを大量に蓄積させることによって爆発させるという手法をとりますが、この方法にはすごく矛盾があります。そもそも、電気を自在に放出出来るエレクトロの身体に、電気が溜まる訳がありません。エレクトロが体内に大量の電力を流されたとしても、放出させれば済むだけの話で、そうでなければサンドマンのように巨大化すればいいのです。
でも、この設定で何より一番無理があったのは、この能力を得たあとでエレクトロが衣装を着ていたことです。自身を電気化することで電線内を自由自在に移動出来る能力はともかく、それをなぜ衣装を着たままで可能なのか?、それはいくらなんでも無理がありすぎます。初めてその能力を使った際、パンツを着ていると言うあまりにも間抜けな映像には、座席からズッコケそうになりました。真面目な演出を心がけているマーク・ウェブ監督だからこそ、こうした間抜けな演出がかえって際立つという皮肉。ビジュアルが非常にかっこいいエレクトロだっただけに、その描き方のお粗末ぶりには閉口してしまいました。
 
 
【ハリー・オズボーン/グリーン・ゴブリン
サム・ライミ版とはまたひと味違ったハリーを演じるデイン・デハーンは、すごくいい演技をしていました。しかしながら、ハリー・オズボーンの描き方という点で見ると、やはり気になる問題点がいくつもありました。
帰郷したハリーは病床にある父ノーマンからオズボーン家に伝わる遺伝的な病気のことを告げられます。ところが、この病気のことを告げられたハリーは、急激に死について脅え始めます。しかし、この描写がとても不自然です。父親の姿を見れば、別にすぐ死んでしまうような病気でないことは明らかですし、父親の話をすぐ鵜呑みにしてしまうハリー自身も何だか間抜けです。普通なら精密検査を受けるといったハリーの描写があって然るべきなのに、そうした丁寧な演出は残念ながら見ることが出来ません。この下りに象徴されるように、本作でのハリー・オズボーンの描き方は、とても拙速なのです。まるで、無理矢理グリーン・ゴブリンを出すために展開を急いでいるようにしか見えません。
ハリーが自身の専属秘書にフェリシア・ハーディ(原作のヴィランである女怪盗ブラック・キャットの本名!)を選ぶ場面も同じです。通常であれば彼女が普通の取り巻きとは違うといった姿を見せた上で、彼女の事を秘書に選ぶといった描写が自然ですが、そうした描写もないためフェリシアを秘書に選ぶ場面が非常に唐突に感じられ不自然でした。
 
マーク・ウェブ監督(そして、脚本家たち)は、ここでも基本的な事を勘違いしています。
ハリー・オズボーンは薬品を注入したからグリーン・ゴブリンになる訳ではありません。投与された薬品により、自身の中の精神的暗黒面が増幅されたことで、悪鬼グリーン・ゴブリンとなるのです。ところが、その大事な部分であるハリーの心の闇の描き方が不十分なので、まるで薬品のせいでグリーン・ゴブリンになったように見えてしまいます。
ハリーが高速グライダーやフライトスーツを手にする理由もすごく曖昧です。薬品を投与した時にたまたま目の前にあったから着てみた?....それではあまりにも短絡的でしょう。せめて、何らかの前フリをしておくべきです。例えばハリーのセレブ生活についてピーターが言及する場面がありますが、あの下りで例えばハリーがスカイダイビングとかハンググライダーなどのスカイスポーツに関心がある人物といった描写があれば、ハリーが高速グライダーを身につける理由にもちゃんとした意味あいが出てきます。そうした丁寧な人物描写が見られないのは、本当に残念でした。
でも、この場面で一番ダメだった部分は、ドナルド・メンケンを逃がしてしまう点です。
そこは、ちゃんと殺害しなきゃダメでしょ!
ハリーがグリーン・ゴブリンと化し、凶悪かつ凶暴になった姿を見せるためにも、ドナルド・メンケンを八つ裂きにしなくちゃならない重要な場面ですよ。それなのに、それを描かないマーク・ウェブ監督....あんた腰抜けか?。
 
対エレクトロ戦のあと、突如響き渡るグリーン・ゴブリンの笑い声
「キャハハハハハーーーーッ!」
まるで女の子が笑ってるようなコントみたいな笑い声で登場したグリーン・ゴブリンの姿に、思わずズッコケそうになったのはオイラだけでしょうか?。この笑い声に関しても、深い意味もなく記号的に笑っているだけで、かっこ良さとはほど遠いものとなっていました。せっかくデイン・デハーンが繊細な演技でハリー・オズボーンを好演していたというのに、それらを全て台無しにするキャハハハ演出....マーク・ウェブ監督の罪は思いです。
 
 
【アレクセイ・シツェビッチ/ライノ
ライノの描き方に関しては、アレでいいと思います。
オープニングの掴みとして、また3への布石として、ああした扱いになった点については特に異論ありません。だけど、やはりマーク・ウェブ監督はアメコミ映画というこのテのジャンル作品のことがよくわかっていないなと痛感しました。何故なら、パワード・スーツの装着場面を描かないからです。
こうした類いは、装着する場面が一番燃える瞬間なのに!
アイアンマンがなぜかっこいいのか?、空を飛ぶから?....違います。アイアンマンで一番燃えるのは、トニー・スタークがアイアンマンスーツを装着する場面です。どうしてそのことがわからないかな?、マーク・ウェブ!(T皿T)
オイラがもし監督だったら、まずポール・ジアマッティをそのまま再登場させます。アレクセイのことを相変わらず軽口をたたいて小バカにするピーター。その目前でトレーラーに積んでいたサイ型パワード・スーツを装備するアレクセイ。驚くスパイダーマンを見てニヤリとするジアマッティ....そして二人が激突!....3に続く〜みたいな描き方をします。
子供を登場させる下りは感動的ではありますが、一方であざとい感もアリアリ。
ライノをかっこよく見せることよりも、あざとい演出を選んで薄っぺらな感動を描こうとするマーク・ウェブ監督のセンスは、やっぱり好きにはなりませんでした。
 
 
【総括】
結論から言うと、エレクトロとグリーン・ゴブリンを一緒に出すべきではなかったと感じました。どちらか単体でも充分スパイダーマンの脅威になれたと思うし、その方がキャラクター描写に時間がさける分、深みが出たと思います。
スパイダーマンの世界って、良くも悪くも馬鹿馬鹿しさがつきまとう世界だと思うのです。ただ、マーク・ウェブ監督の演出するそのバカバカしさは、方向性が間違っていたように思います。7:3分けのマックスの髪型や誕生日ケーキを手にしてのひとり芝居。或いは電気ウナギのアニメ的描写やマックスが事故に合う稚拙な設定。きゃはは笑いのグリーン・ゴブリン、グウェンを助けようとして伸ばした蜘蛛の糸の先が手のようになる描写など、的外れを感じさせる演出が非常に目につきました。
 
予告編でも流れていましたが、本作のスパイダーマンは、前作にも増してその映像がかっこよくなっています。デザインも一作目からマイナーチェンジされ、よりコミックに近い容姿(目が大きくなっている)となりました。エレクトロの不気味な容姿、グリーン・ゴブリンの乗るグライダーの洗練されたデザイン、ライノのパワード・スーツの力強さなど、ビジュアル面では非常に素晴らしい映像を見せてくれました。
またマーク・ウェブ監督は前作から一転、今回は35mmフィルムで作品を撮っています。
そうした姿勢は、映画監督としてとても大好きです。
しかしながら、前作そして本作を見る限り、マーク・ウェブ監督はアメコミ映画を撮るには向いてない監督だと痛感しました。恐らく「3」にはヴィランとしてドクター・オクトパスが登場することになりそうですが、個人的には劇場鑑賞しない確率が自身の中で大きくなってしまいました。
おそらくマーク・ウェブ監督自身は、ものすごく真面目な監督なんだと思いますが、その実直そのものの演出がスパイダーマンの世界観との間でズレが生じ、結果的に可もなく不可もない作品になってしまったようです。それがとても残念だった『アメイジング・スパイダーマン2』でありました。
 
最後に一番気になったことをひとつだけ....
 
おい、ピーター!
ベン伯父さん殺害犯捜しは、一体どうなったんだ!?
 
 
 
     『スパイダーマン、君の血をボクにくれないか?』
      ハリー.jpg 
吸血鬼のような台詞が、実にしっくりとくるデイン・デハーン 
レオナルド・ディカプリオの再来!と言われるだけあって、その存在感は抜群。
カゲのあるハリー・オズボーンを繊細な演技で魅力的に熱演していました
ぶっちゃけ、アンドリュー・ガーフィールドよりも数倍良かった
それだけにグリーン・ゴブリンと化した時のかっこ悪さには閉口
デイン・デハーンが可哀想すぎる....
マーク・ウェブ監督は罪滅ぼしに、彼を主役にした作品を撮るべし!

The Amazing Spider-Man 2 (Original Motion Picture Soundtrack)

The Amazing Spider-Man 2 (Original Motion Picture Soundtrack)

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: Columbia
  • 発売日: 2014/04/15
  • メディア: CD
前作のジェームズ・ホーナー師匠からハンス・ジマー師匠にバトンタッチ
なんで変わったんだろ?
マーク・ウェブ監督の作風からして、前作のジェームズ・ホーナー師匠のメロディの方が合ってると思うんだけどなあ....
ハンス・ジマー師匠は、相変わらず実験的なことをやってます
ささやき声やノイズみたいなものがメロディにのって流れる....みたいな
   

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らるぽん

いやいや、貴方の言い方はおかしいですよ。マークウェブさんはちゃんと描くとこは描いてます。私がいうことがおかしいと思うのならDVDでも買って特典映像の未公開シーンを見ることをお勧めします。多分映画ということで時間の関係もあり色々不自由だったことが一番の原因でしょうね。
by らるぽん (2014-09-06 20:58) 

らるぽん

あとグリーンゴブリンの批判が気に入らなかったたのでこれだけは詳しくかきますね。 まず、ハリーがグリーンゴブリンになるため展開を急いでるという批判については、ハリーの実父のノーマンは無理やりオズコープの技術を使って生きながらえていました。そして醜い姿になって無様に死んでいった父をみたハリーは父と同じ道を辿りたくないという意思が芽生えはじめ、父から渡されたファイルをみて生きる希望を見つけたハリーはスパイダーマンの血、いわゆる毒素を欲しましたという感じです。 続いて、ハリーの精神崩壊については、父に対しての怒り、自分が死ぬかもしれないという恐怖、会社とスパイダーマンに裏切られた屈辱と憎しみがぐちゃぐちゃになって狂ってしまったのでしょう。 そして、一番気に入らなかった「フライトスーツの装着が不自然」と言っている点については、毒素を摂取した拒絶反応による致命傷を苦しんでいましたよね?そしてスーツを見て着た。それだけではよく分からないのは分かります。が、ハリーは元々あのスーツを事前に知ってるんですよ。父が残したファイルを偶然開いたときにスーツの存在を知っていて、能力も知っていました。能力というのは運動能力の向上と身体の治癒能力の促進です。それを知ってた故にあのスーツをきたのでしょう。未公開シーンでもそのファイルを元にフライトスーツ(軍事用戦闘スーツ)のプロトタイプを作ってピーターに自慢してました。 最後にメンケンの殺人シーンですが普通にマークウェブさんは撮っています。未公開シーンにありました。入れる時間がなかったのでしょう。だって入れるとしたら関連のシーンを入れなければならないので時間が足りなかったのでしょう。あくまでvs エレクトロがメインなのでそこに時間を費やす訳にはいかなかったのでしょう。私も一応グリーンゴブリンファンなのでこのシーンはいれてほしかったですね。
長文すみませんでしたっ。
by らるぽん (2014-09-06 21:22) 

堀越ヨッシー

らるぽんさん、はじめまして。
ご訪問&コメント、ありがとうございます!
 
らるぽんさんのゴブリン愛、しっかりと伝わりました(^U^)
そうなんですよ!、今回はエレクトロがメインヴィランだったため、グリーンゴブリンがまるで添え物みたいな扱いで、それがとても不満だったのですよ。らるぽんさんならお分かりのように、グリーンゴブリンってスパイダーマンでは最重要キャラじゃないですか。それなのに、なんだかグエンを殺すためだめに出て来たみたいで、その扱いにとても不安でした。
 
らるぽんさんも仰っているように、今回かなりカットされた場面があったようですね(予告編でハリーがピーターのことを監視していたことを告げる場面が、確か本編ではなかったような気が....!?)
そうした未公開場面を見れば詳細がわかるとのことでしたが、その指摘はフェアじゃないと思いますね。やっぱり本編で語ってナンボなので、それを未公開場面で補足してっていうのは、映画監督としてはやっぱりマイナスポイントだと思います。
 
らるぽんさんには負けますが、オイラもグリーンゴブリン好きなのです。今回のグライダーデザインのかっこ良さには、本当に惚れ惚れしましたし、デイン・デハーンもすごく良かったです。でも、キャラとしての描き方には不満が大きく残りました。むしろメインヴィランをグリーンゴブリンにして、エレクトロを添え物のして欲しかったです(苦笑)。このストレスは是非『シニスター・シックス』で解消して欲しいですネ。
らるぽんさんのご意見、大変参考になりました!
ありがとうございました(^u^)
by 堀越ヨッシー (2014-09-07 07:10) 

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