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青年座セレクション Vol.5『夜明けに消えた』を観劇する〜2013/10/20 [舞台・コンサート]

  
     青年座セレクション Vol.5『夜明けに消えた』
          作:矢代静一  演出:須藤黄英
 
 【出演】
  ノッポ      ....豊田茂
  熊        ....石井淳
  弱虫       ....須田祐介
  けち       ....有馬夕貴
  ひばり      ....香椎凛
  ぐず       ....田上唯
  オリーブ山の老婆 ....五味多恵子
 
  友人の男     ....井上智之
  モデルの男    ....和田裕太
  中年の女     ....片岡富枝
  助教授      ....佐藤祐四
  バアのママ    ....大須賀裕子
  バアのホステス  ....橘あんり
 
【あらすじ】
人気だった服飾研究家の男が失踪して、かなりの年月が経ったある日の事。
友人だった男の元に、その服飾研究家から荷物が届いた。
中にはその男が書いたと見られる戯曲が収められていた....
 
〜舞台は大昔のエルサレム、イエス・キリストが十字架にはりつけにされた直後の物語
  神をののしる男・ノッポ
  神を信仰する女・ぐず
  神に憧れる奴隷の男・熊
  神のことをしらない娼婦・ひばり
  神を利用する姉弟・けち(姉)と弱虫(弟)
 
裕福な家の娘である女“ぐず”を言葉巧みに誘拐して、身代金をせしめようと画策する“けち”と“弱虫”。その計画に加担する“ノッポ”と“ひばり”。神のお告げと思わせてアジトである洞窟までぐずを誘い込むことに成功したけちと弱虫だったが、思わぬ誤算が生じてしまう。ぐずは「洞窟で出会った男と結婚するように」と神のお告げを聞いたという。洞窟には、弱虫、ノッポ、そしてぐずを見かけて後をつけて来た奴隷の男“熊”の3人がいる。ぐずはその中からノッポを選択し、結婚すると宣言する。
だが、神のことをまったく信用していないノッポは、それを頑なに拒否するが....
 
かつての級友“ノッポ”が書いたと思われる戯曲を読み解きながら、
友人の男は失踪した服飾評論家の行方をさぐろうと試みる....
 
  
 
【宗教・信仰を扱った物語なのであります】
物語は、服飾研究家の行方を追う男の独白よりスタートします。そこから服飾研究家が書いたという戯曲の世界へと突入。割合でいうと劇中劇である戯曲パートと現代パートが7:3くらいの比重で構成されており、戯曲の世界を描きながら、途中途中で現代部分が描かれるという形になっていました。
戯曲の物語をものすごくざっくり説明すると、神を信じていなかったノッポが、紆余曲折を経てキリスト教に目覚める....というものでした。戯曲の世界でノッポの身に起こる出来事が、現実世界でノッポの身に起きた出来事とリンクしており、劇中劇を見ながら我々観客はノッポの身に何が起きたのか?について想像を馳せることになります。
確かに、古代エルサレムを舞台にした劇中劇の世界で展開されるドラマは、なかなか見応えがありましたが、見方によってはキリスト教の素晴らしさを伝導しているようにも見え、それが舞台の世界にのめり込めない要素のひとつとなってしまいました。
 
....だって、オイラ“宗教”って信じてないですから(^皿^;)
 
宗教の存在それ自体は別に否定はしませんし、それを信仰する方々に対しても特に偏見がある訳ではありません。だけど、宗教の持つ負の側面を信じて疑わないオイラからすれば、ノッポの身に起こる感情の変遷に対して素直に受け入れられない感覚が正直ありました。もし、それを受け入れちゃうと、自身の中でもキリスト教の素晴らしさを認めちゃうことにもなりかねないから。
だから、どうしても自身の中でブレーキをかけてしまう感は否めませんでした。
 
作の矢代静一さんは、この物語を書いた後、改宗されたとのこと。
この戯曲で描かれるノッポに、矢代静一さん自身の姿が投影されていることは明白です。
元々、この物語の結末はまったく正反対の形で終わる予定だったそうですが、物語を書き進めていく内に、矢代静一さん自身がキリスト教に目覚めてしまったことで、現在のような形に落ち着いた模様です。これは言うなれば、“ミイラ取りがミイラになった”ことであり、またそのおかげで描けた物語とも言えます。だからこそ、ノッポの変遷はドラマチックで、その点に関しては間違いなく感動的です。
ただ、やはりそれ自体をそのまま受け止めるという形にはなりませんでした。
 
 
神の存在や宗教の信仰については、とりあえず横に置いといて....
純粋に舞台作品として見た時、なんだか非常にアンバランスな印象を受けました。
演出を手がけられた須藤黄英さんはパンフレット内のコメントでこの作品の第一印象を“未整理な私戯曲”と指摘されていましたが、オイラも似たような印象を受けました。なぜ服飾研究家が戯曲を書くのか!?....という素朴な疑問から始まり、なぜ自身の身に起きたことを日記などではなく、戯曲というまわりくどい方法に置き換えて、しかもそれを友人に送ったのか?、そうした疑問は一切解明されないまま物語は幕を閉じます。この物語は行方不明となった服飾研究家の行方を追う形で幕を開けるのに、結局大したことはわからないまま幕を閉じることに、ものすごいフラストレーションを感じてしまいました。戯曲パートで描かれるキリスト教の素晴らしさに目覚めるノッポの姿はそれなりに感動的ではありましたが、それより現代パートのノッポはいったい何をしたかったのか?と、そっちの方が気になって仕方がなく、モヤモヤしたものを感じながら観劇を終えました。
〈大山鳴動して、鼠一匹〉
....という言葉がありますが、正にそんな印象を受けた作品でした。
ものすごく大風呂敷を広げて壮大なドラマが繰り広げられたけど、結局ノッポの消息はわからず終いで、その目的も不明と、なんとも煙に撒かれたようなモヤモヤ感だけがあとに残った作品でした。
そもそも、この現代パート部分が後からとって付けたような印象が強く、極論すれば別に必要なかったようにも感じました。仮にあったとしても、友人の男の語りだけでも充分だったようにも思います。
 
 やあ、お久しぶり、ノッポです
 人生いろいろあったんですが、キリスト教に改宗して、今はエルサレムにいます
 もし、エルサレムに遊びに来ることがあれば、是非立ち寄ってね
 では、また!
 
戯曲なんて送らずに、この便せん一枚で済む話かと....(汗)
....とまあ、それは冗談ですが(^皿^;)。

 
【役者陣について】
さて、役者陣はなかなか素敵なメンバーが揃っていました。
 
まず、キーパーソンであるノッポを演じられたのが、豊田茂さん。
世の中の出来事を斜めに見ているヒネクレ者・ノッポを好演されていました。
でも、髪の色は別に金髪でなくても良かったかな?。
登場時のノッポが正にオイラと同じスタンスであり、それだけにキャラクターとして親近感があった訳ですが、改宗してしまった事で、逆に親近感が遠のいた結果に、皮肉を感じてしまいました。
 
大きい身体で存在感抜群だったのが、熊を演じられた石井淳さん。
背の高さとたくわえられた立派な髭、それと凝った衣装のおかげでまさに熊(クマ)という名称にふさわしい風貌でした。ただ、個人的にはもう少し汚い感じでも良かったかな?と感じました。手に巻いた包帯が、奴隷にしては整いすぎでしたね。神を信奉していた熊は、その後ぐずに裏切られ、神への信仰を失ってしまいます。神を信じていないオイラからすれば後半の熊の方に断然感情移入しそうなものですが、何故かキャラクターとして魅力的だったのは、前半部分の盲目的に神を信じている奴隷バージョンの方でした。これまた皮肉な結果となり、個人的には複雑な気分....むむっ(汗)。
 
神を信仰する無垢な若き女性ぐずを演じられたのが、田上唯さん。
純粋に神を信じ続ける女性を好演し、後半では、その小柄な身体からは想像出来ないような熱演を見せて、素晴らしかったです。
 
天真爛漫な娼婦ひばりを演じられたのが、香椎凛さん。
実は今作で一番魅力的に感じたキャラクターでした。台詞の最後にいつも「....違うかな?」と自問自答するしぐさがとってもキュートだったひばり。香椎凛さんご自身の可愛さとも相まって、ものすごくチャーミングな人物となっていました。ただ惜しかったのは、娼婦としての側面がやや表現不足だったこと。現代の娼婦とは若干ニュアンスが違うとは思いますが、娼婦が背負っている悲哀の部分がもう少し垣間見えたら、完璧だったのに!と悔やまれました。でも、クライマックスの熱演といい、香椎凛さんはホント素敵な女優さんでした。これからの活躍が気になる存在になりました。
 
ちょっと残念だったのが、けちを演じられた有馬夕貴さんと弱虫の須田祐介さんのお二人。
まず、有馬夕貴さんは身振り手振りが不自然で、それがすごく気になりました。台詞と動きがあってない感じで、なんていうか、動きが感情から自然と沸き上がるものではなく、最初からそれありきな印象を受けました。強欲で尚かつしたたかな側面も、もう少し表現出来ていたらもっと魅力的なキャラクターになったのにと、ちょっと残念でした。
須田祐介さんも、弱虫というキャラクターをもう少し前面に押し出しても良かったように思いました。そうした方が後半で見せる策略家の顔がより引き立ったように思います。
お二人に共通して感じたことは、古代エルサレムに生きる人間の空気感を感じられなかったこと。
舞台の冒頭、友人の男の語りから始まり、舞台は現代から劇中劇である古代エルサレムの世界へと一気に突入します。そこで有馬さんと須田さんが登場する訳ですが、しばらくは古代エルサレムの世界や空気感が感じられず残念でした。これを表現するためにはおそらくベテランの役者さんでも相当難しいこととは思いますが、物語の大事な導入部分でもあり、もうちょっとお二人には頑張って欲しかったです。
 
現代場面で一気に場を作ったのが、オイラの大好きな片岡富枝さん(^皿^)♪。
吹き替えにはいろんな声のジャンルがありますが、その中でも“おばさん声”といえば、ご存知この方!という位置づけの大好きな片岡富枝さん。今作ではノッポの家で働いていた家政婦という、あまりにもハマりすぎのキャラクターで登場。登場するなり、その持ち前のパフォーマンスで会場の空気を一気に作って引き込むあたりはさすがベテランの領域!。たったワンシーンの登場でしたが、片岡富枝さんのパフォーマンスを見られただけでも、この舞台を観劇した甲斐がありました。
 
 
【舞台の造りが、ユニーク!....でも!?】
スタジオ内に入って、思わず驚きました。
今回の舞台はすごくユニークな造りで、観客席が左右に別れており、その観客席に挟まれる形でステージがありました。例えるなら、ファッションショーのような感じとでもいいましょうか。以前、青山円形劇場でステージをぐるりと取り囲んだスタイルの舞台は見たことがありますが、今回のようなスタイルは初めての経験で、鑑賞する前からちょっとワクワクしてしまいました。
でも....始まってすぐ構造的欠陥に気がついた(^皿^;)
それは、ステージを通して、反対側の観客席が目に入ってしまうこと!。
舞台上で役者陣が熱演していると、つい観客の反応が気になって役者陣のその向こうに見える観客席へと目がいってしまうのです。それは何故か?....何故なら観客の反応は文字通り“リアル”だからです。舞台上で起こっていることは基本的に作り物です。でも、舞台上の世界に没頭出来るからこそ、その世界を信じられ、またリアルを感じることが出来ます。でも、今回のような舞台の構造だと舞台上の“作られたリアル”の向こう側に、“作られていないリアル”が存在しています。そして当然の如く、作られたリアルよりも、作られていないリアルの方が断然面白い訳で、どうしてもついついそちらに目が行きがちになってしまいました。その度「....はっ!?、いかんいかん!、舞台の世界に集中しなければ!」と思うことがしばしばでした。
それと舞台の構造上いわゆる一般的な上手と下手が存在しないため、役者陣の背中を見ながら台詞を聞くケースや思いっきり役者同士がカブるケースもありました。まあ、視点を変えれば、それはリアルな風景とも受け止められますが、一番キツかったのはオイラの大好きな片岡富枝さんの出演シーンで、片岡富枝さんが友人の男を演じられた井上智之さんとカブって、そのお芝居がよく見られなかったこと!。「家政婦は見た!」ばりの片岡富枝さんのパフォーマンスがよく見えなくて、それがとっても残念でした(^皿^;)。
それとこれも構造上の問題ですが、完全に暗転する場面がなく、場面を終えられた役者陣が薄暗い舞台上で小道具を持ちながらハケる姿がうっすらと見えるのには、ちょっと興醒めでした。
 
 
神や信仰を取り扱った物語、個性的な舞台の造り、とかなり冒険心に溢れた作品だった舞台「夜明けに消えた」。宗教を信じていないオイラとしては、なかなかハードルの高い作品となりました。でも、ぐずの言った台詞「自分の殻を作っては壊すという作業を何度もするくらいなら、最初から殻を作らないで人生をおくった方が、有益ではないでしょうか?」という言葉には、グッとくるものがありました。....まあ、それが出来れば苦労はしないんですけどね(苦笑)。悟りを開くにはまだまだ人生の修行が足りないなと感じた舞台「夜明けに消えた」でした。
 
 
     『....違うかな?』
     香椎凛(ひばり).jpg
     娼婦ひばりを演じられた香椎凛さんが、とってもチャーミングでした♪
  

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